去る9月29日は今年の中秋の名月が佐世保の夜空を照らした高尚な一夜でした。昼間からの晴れ渡った天候は十五夜のお月様を歓迎するかのように、そのまま夜も日和を保ち、月は普段より一際大きなその姿で下界を見つめ、秋の夜の雅やかな情緒を街に運んでくれました。19時ちょっと前に俵町から折橋町に向かう道で相棒ジーノのフロントガラスの先に浮かんだ圧倒的な存在感のお月様。多分、52歳にして初めて心に染み入り十五夜のお月様を見たかも知れません。
十五夜に関する話で有名どころとしては、かぐや姫が真っ先に頭に浮かんできます。現存する我が国最古の物語として受け継がれ、平安時代前期に書されたであろうと推測される竹取物語を知らない日本人はいないでしょう。天体事情に関しての教育や情報も皆無に等しかった千年以上前にこのようなハイレベルで質の高い、恋愛沙汰も織り込んだSF物語を世に送り出した不詳の作者は天才ですね。原本は残っておらず、後光厳天皇のご功労で室町時代に写本された物が時代を重ね現代へと語り継がれているようです。
今だ解明されていない宇宙や平行世界を作中に落とし込み、万有引力や相対性理論などの発想の欠片も無かった時代に、生命維持装置付き惑星小型探査機ともとれる、竹型にカモフラージュされた物体の中から発見した、容姿こそは似通いながらも、人類とはかけ離れた成長速度を持つ知的生命体との交流に、当時の最強を謳う軍事力をあざ笑う程の科学力の登場と、竹取物語は歴代のSF作品を彷彿させるアイデアが随所に見受けられます。また、幾多の求婚者の中からさらに絞り込まれ厳選された猛者たちに無理難題をふっかけ、ミッションイン・ポッシブルな貢物を結納の品にと要求しては腕に覚えありの、当時のカサノバたちを翻弄するという小悪魔的なエッセンスを含んだ駆け引きの妙技など、女性ならではの舌を巻く処世術には現在も形を変えつつ人々を魅了する恋愛物語の原点を見た気がしました。(実は人の世とは、生活様式や使うアイテムが変わっているだけで、いつの時代も案外と似たものなのかも知れませんね)しかし、最後に登場したボスキャラ、時の帝をも鼻にかけず袖にするという跳ねっ返り娘的なストーリー展開には、時代や国が違えば不敬罪で連行される危険もはらんだ不安もよぎる、斬新すぎる作品だったのではないでしょうか。
純粋に空想的な昔話の部分だけではなく、どうしてもかぐや姫を手中に収めたいと強く思慕する帝の提案した交換条件に、手塩にかけて育てた子をおじいさんがあっさりと差し出そうとする場面など、俗的な欲望が赤裸々に綴られる所があからさまに散見されたり、それらに加え権力者が持てる術を惜しみなく注ぐ狡猾な手段など、古今東西、人間社会にはびこる生々しさが描かれていたり、その反面、一歩引いて眺めてみれば、見染めた一人の女性を手に入れたいが為と、必死でなり振りかまわぬその姿に可愛い人間臭さを感じたり、この辺りが時を隔てた21世紀の今でも童話として愛され続けるゆえんなのでしょうね。作中の求婚者たちの振る舞いから新たに大和言葉の語源も生まれるなど、国内はもとより、後に世界中の文化に多大な貢献をした1作だと思います。
昭和に入り本格的な研究が開始され、識字の保有率や体制側への思想的な色合い、一部の者しか知りえない、ある階層間の情報収集や貴重品であった紙を入手できた立場を分析し、何人かの作者が候補に挙げられているようですが、なにか、ここまで来たならもう作者不詳のままで永遠のミステリアスを貫いても良いような気がします。この作者にしろ、竹取物語の土台になった出来事など、あと数世紀後にはおとぎ話ではなく、具体的な現実として辻褄が合う事になるのかも知れませんが、せめて今はこれで良いと思います。何もかも全てを解き明かし、人類が完成を求めるパズルのピースをそんなに急いで埋めなくとも、こんな時代だからこそ曖昧で答えと形が見えにくい物もあって良いのではないでしょうか。
僕たちのような介護施設の業務もそんな気がします。確かに基本のマニュアルは存在しつつも、その方々へのアプローチや途中の過程はいくつもの方法がありますし、スタッフ1人ひとりの個性や能力も様々ですので、すぐに白黒とはっきり明確にせず、手探りながらもその入居者様たちに最適な、安全で快適な毎日を試行錯誤できて行ければ良いような気がします。(もちろん状況によっては全速力で最善の対応を心掛けますが)
次の日の早朝、いつもの場所へ朝活に出かけると、百年の森の生い茂った樹木の頭上にまだお月様の姿を望むことができました。他の星々も澄んだ空気の中で夜明け前の暗い空に瞬き、それぞれが互いの美しさを邪魔することなく、その夜最後の輝きを壮大華麗に散りばめていました。お月様にしてみれば、昨夜の宵の口に目にした時よりも角が取れ、本来の温和で優しい月の印象を与えてくれましたね。
十五夜のお月様、また来年もお会いできるのを楽しみにしております。
早いもので当ファミーユもホームページを立ち上げさせて頂き、今月で丸1年が経ちました。
この1年の間で悲しいお別れもあれば、新しいご縁を頂いたり、辞めたスタッフがまた戻ってきてくれたりと、四季とは違うサイクルの一巡を繰り返しています。
施設の運営は勿論のこと、様々なご縁によって支えられている私共がいます。私たちが行き届かない所は遠慮なくお申し付け下さり、今後とも変わらぬお引き立てのほどを、どうぞ宜しくお願い致します。
皆様にとって、今年のこの季節も実りの秋となられます様、僭越ながらファミーユ一同、心より祈願させて頂きます。
令和5年10月某日 にゃんこ部屋管理人
先月、春に散るという映画を観てきました。沢木耕太郎という作家が執筆した原作の作品です。
今年の春ごろ、習い事の先輩から沢木耕太郎を薦められ、30年ほど前に1冊だけ違う作品を読んだこともあり、馴染みの中古品店をまわりながら、昔読んだ本を含め沢木耕太郎を読み進めている最中、7月の中頃に8月末からの上映を知りました。
ちょうど別の映画を観に行った際に、佐藤浩一が構えたミットに横浜流星がパンチを打ち込むポスターに目を奪われ、原作:沢木耕太郎の部分に『マジで~?!原作、沢木耕太郎~?!』と、その日に今から観る超大作のハリウッド映画よりも強く興味を惹かれました。運よく本編上演前に春に散るの予告も写し出され、先月末に待ち望んでの観覧でした。
スポーツ系の映像作品では、しばしば時のアイドルや人気俳優を引き立たせるための作品なのかな?といった物もある中、本作品は撮影に入るにあたり、出演者たちの並々ならぬ周到な準備に伴い、かなりハードなトレーニングを積み重ね挑んだ作品のようで、実際のファイトシーンは今まで観賞した国内外のボクシング映画の中でも上位に食い込む程に圧巻でしたね。しかし、ただの格闘系のアクション映画ではなく、深い人間模様を造作した純粋にドラマ的な濃度が高い日本映画に仕上がっていたと思います。
あまり詳しくは述べる事が出来ませんが、作品自体、原作から映画用に着色された部分があるものの、平成時代の性質を上手に令和時代の生活様式に移植した演出や、その意向を汲みとった役者たちが噛み砕いた解釈からの実際の演技に、ボクシングの本髄や技術監修は映画のポスターに刻まれた〝二人は「一瞬」だけを生きると決めた〟との劇的なコピーに相応しい名作だったことには間違いありません。
ダブル主演の1人である横浜流星はこの映画で初めて知りましたが、10代半ばの頃に極真空手の世界大会で優勝、3位入賞などの快挙を続けて成し遂げ、元より備わっていた恵まれた身体能力だけに頼る事なく、きっちりという以上に、ボクサーとしての体つきやパフォーマンスに拳闘家としての気性を身にまとい、同じ主演の佐藤浩市をはじめとする脇を固めた、それぞれが主役級の豪華絢爛な俳優陣に引けを取らない存在感と情熱をスクリーンいっぱいに放ってくれました。(エンドロールの時に流れたAIの曲もまだ暗い館内で心地よい余韻をふりまいてくれました)
ボクシングにとどまらず、スポーツ全般、はたまた仕事や遊びも人生の勝負時は全て「一瞬」に左右されることの連続でしょう。その「一瞬」を逃さず勝機へと導く為に何時間、何か月、何年という膨大な時間を費やし、来たるべくその瞬間を捉える努力を重ねて人は人生を生きているのでしょうね。その中でも身体の1か所を不自由にする恐れがありながらも、明日からの事など考えずに命を賭して、せめて今だけはほとばしる熱い感情を己の両拳に込め、目の前の相手に全身全霊でぶつける。といったサムライ的な要素を帯びた競技は、やはりボクシングが1番似合います。払った代償の割には結果的に対価が見合わないどころか、儚く刹那的に散る羽目になろうが、剣を持たない武士道はやっぱりボクシングが相交わる部分がとても強いと思います。
後先のことを捨てる覚悟で相手の懐に飛び込みながらも、突き出されるパンチの衝撃や恐怖心に晒され、あと半歩の所で自分の間合いを作れないのが現実だったりしますが(笑)。
痛いものは痛いし、怖いものは怖い。しょうがないですけど、これらの事を克服しようとする気持ちが向上心や努力という行動に繋がる気がします。
競技は戦績が1つの形として集成になりますが、人生においては本当に納得いく形を収めて幕を下ろした人はどの位いるのでしょうかね。僕自身もまだまだ旅の途中。時折は道中を振り返りながら1歩1歩を大切に見果てぬ先を目指し感謝の気持ちを携え邁進してまいります。
皆様におかれましては、これからゆっくりと忍び寄る秋の気配を毎夜事に感じていかれるのではないでしょうか。今朝も早くから極端な天候に見舞われましたが、皆様も体調に限らず毎日の様子にお気をつけお過 ごし下さい。ではまた。
令和5年9月某日 にゃんこ部屋管理人
もう夏も盛りを越え、8月も半ばに差し掛かろうとしています。日中の街を吹く風は相変わらずの熱気を帯びてはいるものの、2週間ほど前に比べると肌を刺す陽射しもほんの少しですが和らいできたような気がしますね。
ちょっとした島ぐらいの大きさはありそうな、ぶ厚く雄大な雲が空を流れて行く様はとても壮観で、朝昼夕を問わず、夏の自然が創り出す芸術の中でもひと際すばらしい眺めの1つだと思います。そんな空の下で百人百様の人生模様。皆様にとって今年はどんな夏でしたか?
もうすぐお盆を迎えますが、この時期はお正月休みやゴールデンウィークの浮き足立った雰囲気とは異なり、なにか心地よい神妙な空気が街を包み、毎年その数日間は程良く僕の気持ちを引き締めてくれる感じがしています。(子供の頃は同級生たちと精霊流しに便乗し、そこら中で爆竹を鳴らしては見も知らぬ同じ郷土の故人のお見送りに参加させて頂いていました)
精霊流しの当日15日は、おくんちや他のお祭りとは別の非日常感が夕刻からいたる所で溢れ出し、精霊船にしつらえられた華やかな飾りや、その舳先に掲げられた家紋や苗字などは、夜のとばりがより一層深く濃さを増すごとに、盆提灯に照らされ幻想的な姿で浮かび上がり、生前の故人の個性を反映し、趣向をこらした大小様々な精霊船が鉦の音や引き手たちの掛け声、爆竹の炸裂音と共に普段は車が主役の国道を、威勢の良い気風と尊厳をまとい威風堂々と練り歩きます。(この夜は街全体がこの行事に協力的で、交通渋滞にも寛容な気がします)
耳をつんざく程の喧騒を引き連れた一行の中に潜む、どこか荘厳な雰囲気。佳境に差し掛かるにつれ、激しさを増す爆竹と闇夜に高く舞いあがる追悼の想い。しかし、そこには別れを惜しむ湿っぽい感情はもう存在せず、むしろ残された者たちが出来うるかぎりの情熱と団結心で、故人の旅立ちを思う存分に見送ろうとする潔さが見受けられます。
ある時間を境に静けさを取り戻しながらも一帯にたち込め、街の風に漂い流れる爆ぜた膨大な量の爆竹の匂い。この地域特有の、暑さを振り払いながら故人を弔う独自の習わし。
活発的な『動』の中に幽玄な『静』がしたためられたこの夜が僕は昔から大好きです。
翌日は早朝から専門の業者の方々がメイン会場に集まっている精霊船の撤去や、アスファルトの上に散乱した爆竹の清掃にと余念があられません。夜が明け現実へと引き戻されるこの光景は、舞台裏を垣間見るようでなんだか得をした気分に浸れます。そして一晩経っても辺りに広がっている火薬の残骸は、戻ることのない時を刻み込むかのように鼻腔の奥を刺激します。
太陽が高くなるにつれ日常を取り戻すいつもの街並み。夕べの騒ぎも振り返れば真夏の一夜の夢の気泡。数多の思い出は日を追うごとに遠い記憶の彼方へと。
いくつかの街に住んだ事がありますが、やはり精霊流しは改めて独特の風習だと思います。系譜の連なりだけではなく、死してもなお周りから敬愛され、法要とはまた違う、故人への感謝のこもった称賛を体現化した行為じゃないでしょうか。肉体も朽ち果て、外的な影響力というものが消滅しながらも称えられるその方への賛辞だという気がします。
お盆が過ぎた頃から自然を含めた生活の場が刻々とモードを変えて行きますね。大型連休はマンガの週刊誌の発売日がズレるので、(いつも立ち読みですけど)基本的にはあまり好きではないのですが、お盆は感慨深いものを覚えてなりません。(大晦日は毎年、年を越す前にだいたい酔って大した風情は実感していません)
今月も目には映らない砂時計が音も立てず静かに時を積み重ね、暦という名の歩を進め、いつの間にか世の中をまた次の季節に運んで行きます。
今年も限られてきた夏の日々。くれぐれもお身体にはお気をつけ満喫されて下さい。ではまた。
令和5年8月某日 にゃんこ部屋管理人
最近、90代前半の女性の人生を振り返ったノンフィクションを読んでいます。1世紀にも満たない昔の日本で、時代の濁流に翻弄されながらも、女性として、また母親としても凛として逞しく生き抜かれたその方の人生を、身が引き締まる思いで読み進めています。
どうにもならない事由により里子に出され、その先で体験した壮絶な幼少期。年頃の娘盛りを謳歌する暇も無く、ただ日々の生活に追われ過ごした青春期。惚れた腫れたのといった、ときめきとはかけ離れた訳柄から進めたお見合いからの結婚。旦那様の方にそこまでの悪意は無かったのでしょうが、時代柄、現在とはかけ離れた道徳感と男尊女卑にまみれた多難な結婚生活。その中でも今まで培った経験をバネにご自分の子供たちを守り、育て続けられた強い意志と実直な行動力には尊敬の念を向けずにいられません。
あの頃の日本人は本当に凄かった人が多くいらっしゃいましたよね。
以前、当施設にご縁を頂いていた女性の入居者様で、こんな方がいらっしゃいました。満州で生活をなさっていらっしゃいましたが、ご主人が不在となり終戦を迎え、小柄な体躯を奮い立たせ、3姉妹の幼子たちをその細い両手に抱きかかえ危険をかえりみず汽車に飛び乗り、情勢が不安定で混沌としていた中国大陸から、命がけで引き上げ船に搭乗し帰国されたそうでした。
日本に戻られてからは美容部員としてご活躍され、百歳を越えられてもなお、居室で毎日きちんと眉毛を描くなど、エチケットとしての身だしなみに余念がないお洒落で活発な方でした。まさに大和撫子でしたね。その方の次女様の旦那様とよくお話をしていたのですが、その入居者様の引き上げ時の話になると毎回熱が入り、いつ命を落としてもおかしくなかった状況で小さな娘3人を守り抜き、無事日本に連れて帰り、それぞれが嫁ぐまでに育て上げられたバイタリティーの強さに心底敬服されていらっしゃいました。
今月、終戦78年目を迎えますが、数々の文献や入居者様たちの人生をお聞きしながら色んなことを考えさせられます。国の復興や生活基盤の再構築の為にと、老いも若きも老若男女が1つの方向へ向かってがむしゃらに突き進み立て直されたこの日本。激動の流れに飲み込まれ綺麗ごとだけでは切り抜けきれなかった場面も多々あったと思います。ですが清濁併せ吞み、ここまで発展した現在の文化や経済に産業など、その社会にあやからせて頂いている令和の僕たちがいます。本当にありがたい事ですよね。
これからの国作りなどといった大改革はもっと頭の良い人たちにお任せするにしても、せめて身の周りの身近な事に関しては1人ひとりが真剣に取り組んでいかなければ罰が当たるような気がします。
今また国内外で不安な要素がいたる所で芽吹いていますが、先人の想いを真摯に受け止め、より良い世界を築き続けて行きたいものですね。
今回は冒頭で戦前、戦中、戦後と時代の暴風に晒されながらも、その狭間で気高くたおやかに咲き誇った2人の女性に焦点を当てさせてもらいましたが、改めてすべての先の方々にファミーユ全スタッフより心から感謝の意を捧げさせて頂きます。
皆様、本当にありがとうございました。
令和5年8月某日 にゃんこ部屋管理人
最近、朝の9時を回れば晴れた空からの太陽という恵みは、恩恵を通り越して肌を突くような暑さになってきました。梅雨の時期とは全く質の異なる気温です、皆さま体感温度の上昇による急激な体調の変化にはくれぐれもご用心下さい。
宿直明けの日課にしている施設周辺の清掃終わりに、数人の子供たちがお母さん達に急かされながら同じ方向へと目の前を通り過ぎて行きました。「今日は良い天気!」や「急いで!」と口にしながら元気に先を進むお母さん達に比べ、子供たちはあまり乗り気ではない顔つきで連れ立ち歩いていました。行先はラジオ体操がおこなわれる広場。総勢で20人ぐらいは集まっていらっしゃったんじゃないでしょうか。今朝の6時半ぐらいの事でした。夏休みを代表する行事の1つではありますが、楽しみに待ち望んだ教育機関の長期休業中、毎朝言われるがままに連れ出され、せっかくの朝寝坊を阻止されるのもなんだか世知辛い気がしないでもないのは、僕が根っからの怠け者だからでしょうか。
子供の頃は疎ましさを感じなくはなかったラジオ体操でしたが、今の目線で振り返れば町内の大人の皆さま、出勤前に本当にお疲れ様です。と頭が下がる思いで一杯です。自治体としては継続して行かなければならない大切な催しですよね。首から下げたカードの品質や服装のセンスに多少の違いはあれど、昔と変わらない掛け声と曲が流れ、それに合わせて身体を動かす光景は昭和も令和も同じ夏の早朝でした。
先週の日曜日の午前中にお父さん、お嬢さん、息子さんの3人で虫網を手に、お子さん達は団地の中に植樹してある木の足元から頭上の枝を見上げ、見つけたセミ?を次から次へと木の間を元気に移動しながら捕り続け、後ろのお父さんをヘトヘトに振り回していました。そんな後に食べるスイカやかき氷は最高に美味しいでしょうね。
祭りやイベントで、夜空に華やかな大輪を咲かせる打ち上げ花火も夏の思い出として欠かせません。住んでいた場所によっては、上空で灼熱の色彩が見事に広がった次の瞬間、爆音の衝撃で窓が震えていました。月の下でゆっくりと形が崩れて行き、炎の雫が闇の中に消え、また次の尺玉が打ち上げられる。瞬く星たちに代わってしばらくの間、夜空を彩る火の粉の芸術。最後は絶え間なく花火が連発され、その夜を締めくくる。風に吹かれ火薬の匂いが流れ去った後でも、しばらくは覚めなかった真夏の夜の余韻。
次の日はみんなと何をしよう?どこへ行こう?あそこへ探検に行ってみようかな?明日はどんな冒険に出会えるだろうか?そんな事を考えワクワクしながら興奮し、なかなか寝付けなかった夏休み。リアルなファンタジーを毎日楽しんでいましたね。時代がもっとシンプルだった分、僕たちは今の子供たちより自由に時間を使うことが許されていた気がします。気温も今より低めでお天道様の下、日陰を求める事なく日が暮れるまで思い切り走り回ることが出来ていました。
熱気を帯びた街の喧騒でさえ気分を高揚させてくれたBGMでした。
熱く焼けた線路の上で揺らめく陽炎。その先をどこまでも仲間たちと歩いて行けそうな気がしていた青い空と入道雲の下。
終わらない夏を全力で駆け抜けていたあの頃。思い出という名のとびきりに輝いた宝石は今もなお記憶の宝箱の中に。
しかし、夏が終わらないことを前提にし過ぎて毎年8月の末に苦しんでいた10代の夏。
学生の方々がこれを読んで下さっていらっしゃるかどうか分かりませんが、僕の経験上、駆け抜けるのはほどほどに。ある程度は計画性を持たなければ夏休みの課題も人生の義務も取り戻すのは大変ですよ。
皆さま、とりあえずは始まったばかりの夏を悔いが残らない様お楽しみ下さい。ではまた。
令和5年7月某日 にゃんこ部屋管理人
まだ梅雨明け前だというのに2週間ほど前からアパートの裏山では、曇り空の湿った空気の中で早くもセミ達の声が響き渡っています。僕の経験上で初めてのことです。今までは何年もかけて適正な時期に地中から現れ羽化から成虫まで漕ぎつけ、太陽が雲に隠れたら鳴き止み、再び顔を覗かせたらまた一斉に叫び出すといった性質のものでしたが、今年はセミ達の日常もちょっと変わったようで、人間達に遅ればせながら彼らなりに構築した新しい生活様式なのでしょうか。まぁセミ達の世界では密閉以外の3密を遵守し、大声を控えるだのソーシャルディタンスを保つといったモラルは見受けられず、相変わらず日の出の時間帯から日没の頃まで遠慮なく町内を賑わせ過ぎている次第です。ただ、セミとはいえども縁あってこの世に生まれ落ち、己の盛夏を極めんと身を砕き、半月にも満たない命に全霊を尽くすその姿、これも森羅万象の事物の1つですので、うるさくてもあまり否定はしませんが、しかし自然界の摂理としてはもう少し巣ごもりして、梅雨明け宣言を皮切りに、従来の肌の内側から沸き立つ様な暑さと共に、山肌を震わす勢いで鳴き出してくれたほうが季節の到来の風物詩として夏らしい気がします。
僕が住むアパートの近所は猫が非常に多く、夏場は百年の森に面したアパートの駐車場でカブトムシを見かけることもあり、かなり童心をくすぐられる環境です。猫達に関しては、お互いに繋がりはないようですが、通りがかりに猫達を見かけた人達が1日のうちに時間差でご飯を提供しに来られているようです。何人かの人にお話をうかがった所、朝晩に車でボランティアにみえられたり、あるタクシーの乗務員さんはタクシーのトランクにキャットフードを常備し、非番の時は私物のカブを走らせ猫達の為にわざわざ足を運ばれているとのことでした。そのせいか人懐っこい猫達もいまして、仕事前に近くの広い1時間無料駐車場で朝活の素振りをしていると、気づいたら少し後ろで猫達が毛繕いをしていたり、まだ涼しいアスファルトの上でゴロンゴロンと可愛く転がり寛いでいたりします。街から数分の場所ですが、人と自然が調和した明媚な地域ではないでしょうか。(何度か見かけたイノシシの親子は怖かったです…ウリ坊は可愛いんですけどね)
週のうち何度か仕事帰りに万津町の西部ガスビルの裏手の佐世保川沿いでひと息つくのですが、たまに日の入りを伝える米軍のラッパの音に出くわす時があります。その日によってオレンジ色や薄紫に染まる夕刻の空。佐世保川や佐世保湾を越え、辺り一帯にラッパの音が鳴り響くと子供の頃を思い出しますね。17歳の頃まで島地町で生まれ育ち、ほぼ毎日このラッパの知らせを耳にしていました。朝はラッパの音に続いて両国の国歌が流され、住んでいる場所が基地の街であることを実感し、近所に存在する米軍ベースの金網越しのアメリカを目にしては、憧れと畏敬の念に近い感情を抱いていました。それから幾つもの時を重ね、たゆたう川の水面の数十メートル先にある同じ景色をいま眺めても、その頃の情感が気持ちの感触として鮮烈に蘇ってきます。その景色から振り返ると、西部ガスビルから鯨背埠頭へ続く道のちょうどカーブに差し掛かる場所。このカーブを見ると、小学生の頃に同級生たちと騒ぎながら自転車や、ハタチを過ぎてローンを組んで買った赤いカワサキの中型バイクで走り抜けた瞬間が、毎回、膨大な記憶の狭間を一瞬ですり抜け、写実的に脳裏に浮かんできます。今は古いダイハツ車の相棒と同じ道を楽しく走っています。目の前に係留されている漁船や作業船。向こう岸の一画だけを残し水上に建つ廃墟の作業場。川沿いの月極駐車場。多少の修繕はされているでしょうが、何十年も変わらない佐世保川沿いの道路。佐世保川を軸とした、この辺りから海軍橋ぐらいまでの両岸が僕にとっての想い出深い佐世保です。晴れた日の夕暮れ時に、フェンスの向こうから聞こえるネイビーたちの歓声や、様々なジャンルのリアルタイムにアメリカを感じるナンバー。山の稜線を神々しく輝かせながら弓張岳の向こう側に沈む夕日。随分と変わった部分もありますが、基本的には変わらない街並み。進化はしても変化はして欲しくないですね。
先週、習い事先の師範代と稽古の合間に少しお話をさせていただきました。時代が移り変わり、どんな世となっても変えてはいけない気質についてでした。人が持つ意識や伝統芸能にしろ、その時代での技術やセンスを取り入れながらも守り続けなければならない根底に流れる基本の大切さをお互いに確認し合いました。ほんの数分間でしたが、とても内容の濃い言葉のやり取りだったと思います。(ふと頭によぎりましたが、楽器や調理器具や文房具に作業で使う工具など、実用性の高い定番品はこれといって見た目が変更されたり、仕様が改良された物は無いんじゃないでしょうか?)古き良き価値観を含め、大好きな佐世保や住んでいるアパート周辺の現状も大切に尊び、いつまでも楽しく過ごして行きたいものですね。
今週の休日の午前中に、坂の多いすり鉢状の町内を探検がてら歩き回り、公民館の玄関先やご自宅の庭先で出会った方々に、この町内の知らなかった昔話を聞かせていただきましたが、梅雨が明けたら青い空と真っ白い入道雲の下、時間をかけて百年の森を散策しましょうかね。その時は思いっきり汗を搔いてカラカラに喉を乾かせ、蝉時雨と降り注ぐ真夏の陽射しを存分に浴びながら、久しぶりに生前の祖母が好きだった三ツ矢サイダーをガブ飲みしてみようと考えています。
皆様も夏の訪れを楽しみに毎日を健やかにお過ごし下さい。ではまた。
令和5年7月某日にゃんこ部屋管理人
6月も半ばの晴れ渡った平日の午後、最近の面会規制緩和に伴い、あるご夫婦がお母様を訪ねてみえられました。約3年ぶりに直にお会いになられたようです。今月93歳のお誕生日を迎えられるお母様の為に、素敵な夏物のお召し物とお母様が大好きな美味しそうなプリン、心温まる手作りのメッセージカードや可愛いお花のアレンジを持参されました。エレベーターが開き、1階のロビーでお待ちになっていらっしゃったご長女様ご夫妻を確認された瞬間、一気にお母様がまとわれていた雰囲気が高調され、手の届く距離まで近づかれると、かなり積極的に前のめりな姿勢をとられ、ご自分から腕を伸ばし、ご長女様とその旦那様へと矢継ぎ早にお手を握りに向かわれました。数年越しの再会を果たされ、満悦の感情が少し落ち着かれると、今度はご長女様ご夫妻に対し、感謝のお言葉を絶え間なく口にされ、僕たちを驚かせて下さいました。
待ち焦がれた年月のお気持ちが凝縮された十数分間。静かながらも優しい感情の波が幾多も押し寄せていた、初夏の陽射しを帯びた風が吹き抜ける昼下がりのロビー。
久しぶりに直接触れ合い、言葉を掛け合うお三方。感激のあまりハンカチを目頭に当て、涙ぐまれたご長女様。傍で見ていた僕たちにも十分に伝わってきた柔らかい空気に包まれた、お互いを思いはばかる家族としてのお気持ち。普段ユニットではお見掛けしない元々持ち合わせていらっしゃった入居者様の母親としての一面を垣間見た気がいたしました。プレゼントの1つひとつをお母様に手渡しながら丁寧に説明されるご長女様。お母様は特にお洋服が気に入られたご様子で、何度も上下の衣類を確認するかのように手触りを確かめ、眺めていらっしゃいました。
僕たちがこの方々とご縁を頂いたのは、ほんのこの数年間のことですが、施設に入る前の入居者様がまだご気丈であられた頃から、本日ご来所されているご長女様や、キーパーソンであられるご長男様に与え、育まれ続けられた母親としての無償の想いや責任と義務など、家族として同じ屋根の下で寄り添い助け合って積み重ねてこられた月日の延長線上が、本日僕たちが目にした、この方々の見返りを必要としない強い絆と仲睦まじい団らんだったのでしょうね。第5類に引き下げられはしたものの、また少しづつ感染が拡大しつつあるコロナウィルス。いつ以前のように直接の面会をご遠慮頂くかも知れない状況で、タイミングよくお母様のお誕生日前にご来所が叶われて本当に良かったと思いました。
どなた様に対してもそうですが、僕たちは「お任せください」とは決して言いませんし言えません。特に我が特養の対象となられる入居者様はいつどうなるか分からない方々ばかりです。しかし、せっかく頂戴したご縁を1日でも、いや半日でも繋ぎ継続できるように最善を尽くし全力で心掛けていくつもりです。
常日頃からすべての入居者様とご家族様にそう気構えているのはもちろんですが、今日を境に改めて自分の職務というものに、より一層強い責任感が沸いてまいりました。
僕はもともとサービス業上がりなのですが、この職種も天職と胸を張って口にできる日を1日も早く目指し、不慣れながらも日々の努力を惜しみなく精進するつもりです。
関係者各位の皆様、何かお気づきの際にはご遠慮なく、これからもご指導ご鞭撻のほどを何卒よろしくお願い致します。
令和5年6月某日 にゃんこ部屋管理人
五月晴れの週末、湿気を帯びた空気もさほど感じず、なんだか九州の梅雨の合間とは思えないほど過ごしやすい1日です。近頃は沢木耕太郎のノンフィクションや、バッハのチェンバロ協奏曲などに耳を傾けながら、五月雨の季節を楽しんでいます。時間に余裕がある時は演出をワンランク上げ、お香を焚き部屋の明かりを小さなアロマキャンドルに任せ、スピーカーからこぼれる音色が窓から流れ込む風と共に部屋中を満たすひと時を満喫しています。
僕のアパートは少し交通量のある道路沿いから、裏手の場所に立地し、県内でも有名なお祭りや精霊流しのメイン会場のすぐ近くではあるのですが、その道路沿いから1歩でも細道に足を向けると、同じ町内かと思うくらい静かな界隈に表情をがらりと変え、日によっては満天の星空が細道の頭上を埋め尽くし、果てしなく広がる夜空できらめく星々が賑やかにシンフォニーを奏で、優雅なアンサンブルを洒落こんでいるような晩もあります。時折その狭間を赤い航空灯を点滅させ、夜間飛行する大きな機体。現実を忘れかけ、地球も宇宙の1つだと思い出す時間帯。銀河の中の微々たる惑星、その中でも小さな小さな島国の片隅。そのまた細い通りからも壮大な天体を仰ぐ事ができています。
このところ車での移動がほとんどなのですが、たまに歩いてみると、かなり様変わりしてきた街の様子に驚嘆するばかりです。僕たちが生まれる前はどんな感じの佐世保だったんでしょうかね。最近ネットで歴史関連の生活記録的な昔の写真を見たりしては、四角いフレームに収められている、その時代に思いを馳せてみたりしています。(これは実際に赴いてですが、共済病院の裏口に展示してある、明治時代からの共済病院の時系列写真も大好きです)80年代に駐留していた在日米軍関係者の方が撮影したとおぼしき動画もYouTubeで観ましたが、僕が10代の頃の佐世保の街並みが鮮やかに写し出され、大変懐かしく、あの頃の様々な感情がよみがえり、特に昭和の四ケ町アーケードや松浦公園などでの動く景色は感慨深いものがありました。ギブ・ミー・チョコレートの時代ではありませんでしたが、小学校低学年の時、近所のニミッツ・パークでくつろいでいたアメリカ人のお兄さん達に350mlの缶コーラをもらい、初めてそのサイズのジュースの缶を握った時の感激は今も忘れません。(当時の日本で350mlサイズの缶製の飲料物はビールだけでした)ブルタブの形状も日本の物とは違い、両国間の商品開発の開きにカルチャーショックを受けました。覚えたてのサンキューを緊張のあまり連発し、下手な作り笑いで何度も頭を下げましたね。騒がしい街の喧騒から切り離されたようなアメリカンナイズされた公園の一画、ハリウッド映画のワンシーンに出てくる様な風景の中で口にしたアメリカのコカ・コーラ。味覚の面でこれといった差はありませんでしたが、気分は最高でした。
別の画像や動画では、ベトナム戦争時の佐世保の街角で若いネイビーがおどけて踊ってみたり、当時の車がその頃の佐世保の街と重なり走り抜ける光景にも時を超えた想いが込み上げてきました。また、第二次世界大戦前や大戦後の復興期にあたる様子などからも、街や人々の熱気がモノクロームの情景からほとばしる、躍動感に満ちた貴重な写真の数々。すべて重要文化財として可能な限り先の後世に残しておいて欲しいと思っております。(100年プリントという現像技術がございますが、僕的には今や100年などはひと昔な気がします。今世紀中にも是非1万年プリントぐらいを開発して頂きたいです)もしかしたら、目にした映像や写真の中に、今までご縁のあった入居者様やご家族の方も映っていらっしゃったかも知れませんね。
ネットの世界では時代を超えて人々の気持ちを揺さぶるジャンルが多々あります。検索した写真や映像などの芸術や文献の枠に限らず、たまたま観戦した古いとある競技の試合に魂を焦がされ人生が変った方もいらっしゃるでしょう。
世の中で事件が起きれば、その問題に対し現代のネット社会を憂い、分析の1部分として提起する人がいます。あながち的外れでは無いと思います。先ほど読んだヤフーニュースのある事件に対するコメントの中にもありました。ですが僕自身はこのIT時代に突入後、ネット上から色んな情報を入手にすることが出来るようになり、数十年前の地元の日常を見つめ、新しい価値観ができました。改めて迎えた建設的な道しるべであります。コンピューターを軸にしたSNSを含めた情報社会を画面越しの無機質で受動的なツールにするか、血の通った己の自己啓発に繋がる指針とするかは人それぞれでしょうね。
この当法人のホームページにしても、先々、地球が存在する間は後の世代のどなたかの目に触れるはずです。その時に現在の風俗や日々の暮らしぶりがほんの僅かでも参考になり、また今を生きる僕たちが誇れる物の1つになれば冥利に尽きますね。
その為には1日1日を大切に生き、僕たちでいえば、入居者様に対する情熱を傾けた証の一環になれば幸いです。
直接的にしろ間接的にしろ、毎月このホームページを更新できるにあたり、その機会を作って下さっている皆様に心より感謝しております。いつも本当にありがとうございます。
今夜はこの辺でビリー・ポールの珠玉のバラードを聴きながら失礼したいと思います。ではまた。
令和5年6月某日 にゃんこ部屋管理人
風薫るすがすがしいゴールデンウィークのスタートですが、皆さまいかがお過ごしでしょうか?県外ナンバーの車やバイクを見かけると、毎度の事ながら大型連休を生活の中で実感しますね。最近は中型以上の大きな単車を颯爽と操る女性ライダーも増え、痛快な頼もしさを覚える次第です。アスファルトの向こう側へと小さく消えて行く県外ナンバーの車両を見送ってから目を向けると、その傍らに植えられた、緑光の青さが増した立夏の息吹きを携えた木々の葉が風にそよぎ、パステルカラーの青い空の下を真っ白い雲が流れる、そんな最高の5月の初旬です。
去年おととしに比べ硬化な行動制限もありませんし、3月からは一定の場所を除き、マスクの着用に対しても大きく以前の生活に戻って来ているようで、うれしい限りでございます。先週末に来所されたご家族に面会についての質問をお受けした際、世の事情は緩和されつつあるものの、まだ予断を許さない状況に類する職場でございますので、今しばらくはもう少しご遠慮を頂きたい考えを、はばかりながらお答えさせて頂きました。コロナ禍前は受付でお名前を記帳し、自由に館内の居室を訪問されたり、早めのお申し出を下されば入居者様も、ご家族の方々とお店でお食事やドライブなどの外出を楽しんでいらっしゃいました。ご家族の皆さまが入居者様に寄せられるお気持ちは、我が事の様に察しながらも、数年を跨ぎご不自由をおかけしておりますが、もう暫しの間ご理解とご協力の程、よろしくお願い致します。
先週、実家の墓前に手を合わせに行った帰り道、とある公園を通り過ぎ、すぐ脇の遊歩道に設けられた造りの立派な藤棚から雅やかに垂れ咲く藤の花を見かけました。その日も天気が良く、うららかな中、訪れた方々は癒しと優美な時間を楽しんでいたようです。同じ季節の中にも色んな種類の植物が表情豊かな顔を出し、街や暮らしを艶に彩ってくれていますね。四季折々の草花にしろ、メリハリのある4つの季節に合った行事など、先人が生み出し定着させて来た文化の水準や感性には敬服させられ、そんな美意識の構築を重んじる姿勢を見ては、改めてこの国の精神的文化に傾ける観念の比重と、それを形にする実行力に国民性の実直さを感じる今日この頃です。また、たまに眉をひそめたくなる出来事が起こっていることも事実ですが、環境や生き物に対して、以前に比べ真剣に注意を払える時代になってきた気もいたしますし、若い世代の方々も僕たちが同じ年代の時より熱心に環境保全活動に勤しんでいる人たちがいらっしゃるみたいです。世間的に腰を上げるのが多少遅かった感は否めませんが、意識の持ち方が進歩して来たんだなと思います。これからでしょうね。やろうと思った時が始め時で、一人ひとりの自覚と行動が己自身と周りや、より良い時代を創って行くと僕は信じています。
この間YouTubeで視聴したカクテルの作り方に、ひと昔前とは比較にならないバーテンダー達のこだわりに驚きを隠せませんでした。ベースとなるお酒や副材料の魅力を引き出し、際立たせる為に使う調味料や施す下準備と手の掛けよう。かなりのレベルで昔のレシピを凌ぐ奥深さでした。これも進化や進歩という成長なのでしょうね(もちろん崩してはいけない、根底を流れ支え続けられる基本がありきでの話です)。飲食関係に限らず、他のカテゴリーでも進化の様子を覗かせています。スポーツの記録や技にしても、僕たちが子供の頃は漫画の世界でしかありえなかった結果が現実に体現され、競技によっては漫画の作者がシチュエーション作りに追い付かないと漏らしていたジャンルもあるぐらいです。繰り返された研究に尽きることのない探求心、愚直かつ一途に積み重ねられたフィジカル面での鍛錬の賜物でしょう。
他の分野でも飛躍の場は多岐に広がります。星空が冴え渡る夜、地上から宇宙を見上げ、星を眺めるのが大好きなのですが、科学や技術の躍進に期待を込め、今度生まれ変わった時代では、開発された製品は全て環境や生物に優しく、種の垣根を越えて真の共存共栄や相互理解が進み、現在よりずっと量子力学や素粒子論への把握度も高まり、スマホ並みに個人で所有可能な自家用スペースシャトルが普及しているような世の中になっていれば嬉しいですね。それに乗って海や夜景を見に行く気軽さで、仲間たちと太陽系の外まで出向き、ハッブル宇宙望遠鏡などで観測された様々な星雲や、別の銀河を肉眼で楽しめたら最高だと思います。
とりあえずはその時が来るまで、地球の中で地図には載っていない僕だけの場所を探し続けましょうかね。
まだまだ昼夜の寒暖差がある時期です。皆さま体調管理にはお気をつけながら、今という毎日を満喫されて下さい。
令和5年5月某日 にゃんこ部屋管理人
月末から世間はお待ちかねのゴールデンウィークに突入ですね。施設はといえば日々、百人百様でその方々ならではの様々な場面が繰り広げられながらも、スタッフをはじめ、主役である入居者様や関わられる関係者各位の皆様のお蔭様で卯月の今月も平穏無事に笑って過ごせている毎日です。
桜の花も舞い散り、新緑の候に差し掛かる季節になってまいりました。人に差し上げる時はだいたい赤いバラかヒマワリですが、桜もとても大好きな花の1つです。桜は北半球を中心に世界中、欧米やヨーロッパにも分布し、開花も3月から5月と、ほぼ日本と同時期ですが、ニュージーランドやオーストラリアなどの南半球では8月、9月に咲くそうです。僕たちが過ごす四季の常識からすれば、セミの声が響き渡る真夏や残暑に桜の蕾がほころぶとは、なんだか風情がぶっ飛んだ生育体系にほかならない気がいたします。しかし、それもあちらで生まれ育った現地の方には当たり前の季節の出来事、ところ変わればということでしょうか。
世界的な桜に対しての感情移入までは把握していませんが、この国で桜が咲き誇る時期は、別れや出会いの新しい転機の時節であり、桜の持つ性質の、あらがえぬ時の流れの中で、惜しまれながらも美しく儚く優雅に散りゆくさまが、我々の根底に根付いている奥ゆかしさや潔さと重なり、目に映る可憐さだけでなく、崇高な気骨の精神や武士道をルーツに持つ、大和民族のアイデンティティを象徴するのに相応しい花のような感じがします。
春のうららかな季節は自分の内側から前向きな気持ちが沸き立ちやすくなり、どこへ行ったのかは覚えていませんが19歳の時、旧佐世保駅のホームに佇み、東の方角を眺め、今より自然環境も落ち着いていた陽だまりの中で、希望と根拠の無い自信に胸を膨らませ、ゆるやかに過ごした午後の時間がついこの間のように脳裏に浮かんだり、毎年、交代で誰かが泥酔し怪我人が出ていたお花見を思い出しては、いま思えば馬鹿げた事に本気で取り組み、仲間たちと全力で楽しんでいた時代のこの季節がとても感慨深く心に強く刻まれています。
ある春の昼下がり、ソメイヨシノに溢れた公園で1人の友人が言いました。
「桜って凄いよね。誰かに教えてもらう訳じゃないのに毎年ちゃんと春に咲くんだもんね」
まったく意識したことがありませんでしたが、まさにその通りですね。ジョージ・ウィンストンなど、ピアノの音色をこよなく愛する感受性の豊な友人です。日々を過ごす上で、味覚や音楽の趣味が合う人との出会いはとても大切で、両方の感覚が共感できていたらかなり幸せだと思います。男友達にしろ、通い始めた酒場にしても、この2つの価値観が一致していれば、会話が少なくとも時間をもて余すことなく飽きずに長く過ごす事が出来る気がします。
食事や文化や遊びにおいても食わず嫌いな方がいらっしゃいます。僕自身も知ってはいるものの、足を踏み入れていない世界が沢山あります。数年前、まだ施設の前の空き地に立派な桜の木が立っていた頃、その日の体調に問題の無い比較的お元気な方々を、交代でその空き地の桜や、裏の団地を抜けた公園に咲く桜を見にお誘いしていました。最初は「よか!私は行かんよ!」と険しくおっしゃられていた方も、新鮮な外の空気に頬を撫でられ、暖かな陽気に包まれながらのお散歩に表情も段々とおだやかになられ「来てよかったでしょう?」とお尋ねすると、少し強がりを残した口調で短く「…うん!」と答えて下さっていました。優しい気候の中、美しい自然を眺めると、誰しもやんわりと温厚な気持ちになっていきますよね。先月末もスタッフが入居者様を車イスで外の桜を愛でに出かけましたが、皆様にとても喜んで頂けた様です。大掛かりなイベントを開催しなくとも、このように身近な日常の中で五感を堪能できる時間を入居者様が過ごして下さればと、ファミーユ職員一同考え抜き、これからも毎日奮闘して行く所存でございます。
この時期、1つの区切りとして巣立って行かれる人。新しい扉を開き、まだ見ぬ領域に臨まれる人。同じ桜を目にしても感じ方はそれぞれでしょうが、共にお互いが良い結果を生み出されるよう、心よりお祈り申し上げます。
追伸 ちょうど本日の終礼で2階へ登った時、ユニットひだまりのラウンジの大きなテレビから演歌の番組が放送されていたので、この時間帯にしては珍しく思い、近くにいたNリーダーに問いかけたところ、パソコンをテレビに接続し演歌系のYouTubeを流しているとの話でした。皆様、画面にくぎ付けになり、楽しい夕刻を過ごされていらっしゃったご様子でした。Nリーダー、いつもありがとうございます、毎日本当にお疲れ様です。
令和5年4月某日にゃんこ部屋管理人