この数日間やっと天気も回復し、街路樹に目を向けると五月の陽射しが葉にまとい、優しい風に吹かれ、きらきらと光の雫がこぼれるように揺れています。
昨日までの強い風はどこかに過ぎ去り、本日は穏やかな雰囲気が街を包む静かな権常寺町です。
今月に入りラジオなどで天気予報を聞いていると、全国では夏日のような気温の場所もあるみたいですが、佐世保も日中は徐々に暑さが増しつつも、夜は薄手の上着を1枚羽織るぐらいがちょうど良いんじゃないのかなという涼しさです。しかし、ところ変わればで人口密度や交通事情に建造物のスケールなど、その地域での諸事情が気温の上昇に影響するのかも知れません。
2000年代に突入し、ニュースなどで体育の授業や部活動中の熱中症や日射病の増加に関する報道を見る度に、最近の子供たちはひ弱なのかな?と思ってしまいましたが、やはりこれだけ温暖化の余波を受ければしょうがないことですね。むしろこの環境下でよく頑張っているなと感心いたします。
今日は施設の窓を開けているため、いつもよりダイレクトに届く通りを行きかう車の音が、小鳥の鳴き声と重なり、ほのぼのとした昼下がりです。数年前でしたら体調の良い方など、ご本人様に声をかけさせて頂き、ご希望されましたら施設の近所を車イスでお散歩にお連れしたりしていましたが、現在は引き続きコロナウィルスやインフルエンザ感染などの予防からご面会も含め制限措置を取らせて頂き、建物内での工夫を凝らした様々なレクレーションや職員との交流で生活の場を充実していただいております。
また以前のようにお好きな時間にご家族様とのご対面や、交代でお散歩を楽しめる世の中に早く戻って欲しいと願う毎日です。
世間での大きなイベントとしては、GW最終日の6日に東京ドームで元ヘビー級3団体の覇者マイク・タイソンの試合以来、34年ぶりにプロボクシングの興行として、横浜の大橋ジム主催で世界戦4戦を含めた数試合がおこなわれました。
メインイベントではスーパー・バンタム級4団体統一王者の井上尚弥選手が、1ラウンドにデビュー27戦目にしてプロキャリア初のダウンを喫し、応援する者すべての肝を冷やさせながらも、カウント8で立ち上がった直後から、冷静沈着な対応で試合の軌道修正に取り掛かり、抜群の危機回避能力と的確かつ多彩な反撃に加え、華麗なディフェンスで波乱の微塵も見せず途中2度のダウンを奪い返すと、中盤の6ラウンドで挑戦者のルイス・ネリ選手に3度目のダウンを与えたタイミグで圧巻のTKO勝利を確定し、会場全体を熱狂の渦に巻き込み、ドームに詰め掛けた約4万3千人の観衆と世界中の井上尚弥ファンに熱い夜をプレゼントしてくれました。
個人的な部分ではございますが、近ごろ松田聖子やBOOWYなどといった80年代に日本中を席巻した、いくつかの音楽に再び心を踊らされています。あの頃はどちらかというと曲調に惹かれていた節がありましたが、改めて歌詞の方にも意識を傾けてみると、人生経験を重ねて理解し納得できる歌詞もあり、とても情緒が豊かで奥深い世界観を感じます。
特に松田聖子のナンバーは、曲によってはメロディを付けた耽美でエレガントな大人のおとぎ話という印象を受けました。時代自体も今より伸びやかで情熱的でありましたしね。
もちろん、それ以降にも生まれた、国内外を問わず気持ちが弾け飛ぶ名曲にも数えきれないほど出会っています。
この季節の夜はお酒を口にしながらよりも、珈琲の香りを傍らに懐かしい曲に身を委ね、少しだけ時計の針を戻し、懐かしい場所に思いを馳せてみましょうかね。
皆さまも健やかな五月の日々をお楽しみください。
ではまた。
令和6年5月某日 にゃんこ部屋管理人
不安定な天候が多い今月ですが、雨の日に部屋の中でゆっくり過ごす時には、マイルス・デイヴィスのアルバムがしっくりきます。
柔らかくウェット感に満ちたトーンでトランペットの音色を紡ぐ曲調は、しっとりとした雨天時に打ってつけです。もし、その後も予定が無く、ウィスキーでも口にして良い状況なら、なおさら最高ですね。
窓の外の建物や路面を叩く雨音のリズムがマイルス・デイヴィスの演奏と重なり、蓄積した、うつし世の憂さを空から降り注ぐ雨粒が大気の汚れと共に洗い流してくれるように感じます。自然の現象とアートが渾然一体となる事態はよくあるかも知れませんが、ここまで僕の聴覚野を見事に刺激してくれるコラボはとても珍しい組み合わせです。(真夜中のドライブに宮原学のギターとボーカルも最高ですけど)
先週、佐賀市の菩提寺に墓参りに行った際、敷地内の草刈りをされていた住職さんと次世代への継承の件を絡めた会話の流れから、『諸行無常』を例に取った話しになりました。物事の有形、無形を問わず、人の心や間柄に関してはあまり変わらない気持ちがありはするものの、やはり感情も含め、永劫に一定という物は存在せず、生じた時から常に変化を続け、退化および衰退の一途を辿る定めは太古からの一番身近な教えです。それらを踏まえ、各々が与えられた有限の時間の狭間で、どの様に人生の画布を描き社会に貢献し、その中で、いつの世も変えてはならない根底に流れる基本を理解してもらい、後代に伝え残していくことは避けては通れない肝要な事物です。
継承に関しての方法は、ありがたい教えや閃きのチャンスは、多少の差はあれど、結構いたる所で空気のように漂い、全てに対して平等に配られている気がします。それに気づいてどう活かすかは、それぞれじゃないでしょうか。
街の中で、同じ場所でも時間帯によっては表情が変化し、吹く風の質感も変わって行きます。施設の周りにしても、土日や祭日など、スーパーの駐車場やガソリンスタンドなど混みはしても、平日のような固い雰囲気は無く、混雑する列も心なしか穏やかな空気に包まれている気がします。家族の在り方やスタイルも昔に比べると、かなり違ってきていますが、やはり親心に宿る、託すという気持ちは一緒なんだろうなと思います。
習い事での技や作法の指導も次の世代に対する大事な継承の1つです。言葉や実際の稽古だけでは伝えきれない隅々までの詳細なども、稽古場での清掃や普段の所作、自身の生き様から何年もかけて気づかせ、身に刷り込ませ形になるように伝えていくという行為なども、まさに後世へのそれだと思います。稀にその受け取り方や解釈の違いが、時として分派という形になり、進化へと昇華する事もあれば、名選手、名監督にあらずといった場合に、同じ競技や芸道でも方向性の捻じれから、元からある理念の分断という結果になる事もありますので、伝え受け継ぐという一連は非常に難度の高い重要な使命だと思います。
確かに突きや蹴り、受けや払い、太刀の振りにしても武道と武術、また流派によっては意味合いや目的が変って来ますし。
面会で来所されるご家族様も、入居者様から与えて頂いた真心の継承が胸にあるからこそ訪れになられるのでしょう。まだ短時間でのご対面しか果たしていただけませんが、毎回その時間は熱く込み上げてくるものがあります。
やはりいつの時代も世は常に温かい人の心で満たして行きたいですね。
いつのまにか4月も後半に入り、過行く日の速さに驚くばかりです。あまり春らしい陽気に恵まれませんが、せめて皆さまのお気持ちにおかれましては、爛漫とした日々になられますよう、心から願うばかりです。
ではまた。
令和6年4月某日 にゃんこ部屋管理人
今年の桜の季節は雨や強い風に見舞われ、例年のように気軽なお花見シーズンとは言えない日が続いていますね。近所のお花見スポットでも能登半島地震以降も各地で頻発する、地震に遭われた被災者の方々への気遣いからか、夜や休日に揃って宴会がてら酒を酌み交わす類の賑やかなお花見は見かけません。
世の中の感情を汲み取り、みずから自粛や組織的な配慮を実施する姿勢などは、日本人として清廉な気質であり高尚な国民性だと思います。
ただ、やはり桜色に染まった並木道は綺麗なもので、犬の散歩やお友達やご家族の少人数で連れ添い、記念撮影を楽しまれている様はとても微笑ましいこの時期ならではの光景だと思います。
風に舞い散る花びらも、ほんの僅かな間ですが桃色の絨毯を艶やかに歩道の上に敷き詰め、最後まで余すところなく、その存在を楽しませてくれていれます。
時おり目を向けた街を囲む高い斜面の新緑に混ざり、柔らかく彩った山桜も、華やかに春のはじめを伝えてくれ、いたる所で春満開といった感じです。
最近、仕事帰りに車で日宇バイパスを走っていると、今年もまた真新しいスーツに身を包んだ若い男女の集団を見かけます。多分、全国的に有名な通販会社の新入社員の方達でしょうね。僕にとっては桜の開花と並んで春の訪れを伝えてくれる風物詩です。まだまだカジュアルな井出立ちで闊歩する方が似合われるような皆さんですが、一抹の不安がよぎりながらも、これから従事する企業を担っていく覚悟に加え、自身らが秘めている無限の可能性や抱いた希望をそのスーツの下に忍ばせ、それぞれの目標を掲げ、社会や世界を舞台に活躍することを夢見て仕事終わりの時間帯に和気あいあいと、あの辺りを歩いていらっしゃるのでしょうね。
うちの施設にも大学新卒の新しい女性の仲間が入って来てくれました。彼女がこれから進んで行く、この業界での第一歩を当施設に選んでくれた事を心から感謝しています。今からは学び舎で知識を身に付けていた頃や、実習で体験した現場での立場とは違う振る舞いで奮闘する日々が待っていると思います。初めて介護の業界を志した日の想いが揺らぐ時もあるでしょう。この場所での行き詰まりを感じる時もあるはずです。しかし、後に彼女がおのれの背中に続いた道のりを振り返った時、最初の歩みをファミーユに決めて良かった、間違いじゃなかった。と自己の選択に誇り持って肯定してくれる職場作りを僕たちも心掛けて行かなければなりませんね。
熱く強い気持ちで開いた扉の向こうで見たその瞬間は、時を重ねるにつれて当たり前の景色となり、流れ去った過去の1つとして新鮮さを失いながら普段の日常へと溶け込んで行くかも知れません。ですが、そんな時には。
〝初心忘るべからず〟
若い方々のスタートにちなんで自分たち自身にも改めて言い聞かせたい言葉です。そして、正しい道を選ぶだけではなく、選んだ道が正しくなるような生き方も大切な気がします。
新しく一緒に働き出した仲間に加え、今月お越し頂いた入居者様。先月と月初めにお見送りをさせて頂いた入居者様方。プライベートの習い事の場で知り合った社会人の方や学生さん達で、転勤や就職、また進学などで佐世保を離れて行かれた人たち。この数週間で、すでにもう幾つかの出会いと別れを経験しました。会者定離を肝に銘じ、より一層、一期一会の精神を重んじます。
この年度も入居者様が過ごされる快適さを追求する為、揃って惜しみなく粉骨砕身の姿勢で臨ませていただきます。関係者各位の皆さま、ご指導ご鞭撻と共に、ファミーユへの変わらない賜りの程を宜しくお願い致します。
週を通して晴れ間の少ない新年度の幕開けとなりましたが、この先も皆さまの毎日が明るく照らされ、拓かれ続けることを心より切にお祈り申し上げます。
令和6年4月某日 にゃんこ部屋管理人
場所によっては桜の蕾を見かけるようになりました。待ちわびた春の訪れが今年も確実に僕たちの街へと足を運んでくれているのでしょうね。
凍てついた大地から芽吹くスミレなどをはじめとした、新しい命との出会いの季節がとても楽しみです。
僕たちが住む九州は国内でも温暖な地方ではあるはずですが、やはり冬は寒く人間はもちろん、幾多の生き物も春の到来を心待ちにしている事だと思います。
春といえば、玉ねぎが好きな僕は新玉ねぎのサラダや菜の花を使ったスパゲティ料理も楽しみの1つです。
新玉ねぎは薄切りした後、ヌメリを軽く洗って水気を切り、適度な厚さにスライスしたトマトに乗せ、ドレッシングや調味料は使わずイノシン酸を豊富に含んだカツオ節を振りかけて食べたり、菜の花のスパゲティはフライパンの中でアーリオオーリオの香りが立ってきたら、むきエビを炒め出し(むきエビは塩と片栗粉で揉み込んでから水で洗い流し臭みを取り、背わたは抜いておきましょう。お手間でしょうが仕上がりが違います)、むきエビに火が通って来たら無塩バターを入れ、スパゲティに合わせて下ごしらえしておいた菜の花をフライパンに加え風味を付け、アルデンテよりちょっと固めに茹で上げた1.6mmの麺を投入し(自分が食べるだけなら面倒なので乳化はしません 笑)、塩とミルで挽いた黒コショウと濃い口醤油で味を調え皿に盛りつけ、あらかじめ一口大に切り揃え焼き付けた白身の魚を乗せたスパゲティが好きです。(塩、白コショウで下味を付け薄力粉をまぶし、フライパンの熱で無塩バターが溶け始めたら余計な粉をはたいて中火で皮目からなべ底に当て、しっかりと焼き色が付いて皮がパリッとなったらひっくり返して弱火へと火加減に気を付けきちんと焼き、白ワインでフランベします。格子状の焼き目を楽しみたいのでしたらグリルパンで焼くのも良いでしょうね)トッピングには菜の花や魚介を邪魔しない程度のカイワレを散らします。
僭越ではございますが、ささやかな春の二皿でした。
僕は春や秋になると休日に街を散策する事が増えます。当時のエピソードを掘り起こし、古今を比べながら歩き回り、現在と記憶の部屋の壁に張り付いた風景を重ね、思い出に浸るのが好きです。
昔は街の小路に入った裏通りや盛り場の外れでも、手頃な価格で気軽に大衆的な洋食や、お好み焼き等を提供してくれたお店が結構ありました。また地下に潜った場所で個性的な音楽を聴かせてくれるクセの強いお店もいくつかあり、まだ青臭かった頃、怪しい魅力を放つ磁場に引き寄せられるように通い、なんとなく退廃的ながらも高水準な文化性を感じさせるその雰囲気を、ちょっとだけ背伸びしつつ楽しんでいました。ロックやジャズのアナログのレコード盤に鼓膜をくすぐられながら芳醇なコーヒーを嗜んだり、また別の時には非日常の空間に身を溶かすように、地下のカウンター席でビールやウィスキーを喉の奥に流し込んだりしていました。
今よりも世の中がもっと単純だったあの時代、商業的に練られた戦略やコンセプトは希薄だったものの、先月ご紹介した雑居ビルにあったダイニングのように、特徴の輪郭がくっきりとしたお店が遥かに多かったと思います。
最近だいぶん日が延びてきましたね。山の稜線と夕闇に暮れる空が、まだほんの少し境目を残している時間帯、街ではネオンやビルの窓に灯る明かりが引き立ち始め、それらを目にすると昔より垢抜けた高層建築物が本当に増えたな、とつくづく感じます。僕が入居者の皆さま達と近い年齢になる頃、街はまたどんな景色になっているんでしょうね。
この頃バグパイプやピアノなど、音色だけの演奏版にしろ歌声の入った物にしろ、讃美歌のアメージンググレイスに凝っています。おすすめのバージョンなどがあれば、どなたか是非ともお教え下さい。
皆さま年度末でお忙しい時期でしょうが、適度に肩の力を抜いてのんびりとシンプルな時間もお過ごしくださいね。ではまた。
令和6年3月某日 にゃんこ部屋管理人
年をまたいだ節目の数日間は慌ただしいいつもの日常に戻り、日中は年末より寒さも少し和らいだ気がします。太るほどおせち料理やご馳走を食べたりはしませんでしたが、汗が出ない分、暖かい季節に比べると同じ運動量でも体重管理が難しく感じます。
何年か前から、時代の変わり目というものを以前より強く意識し出しました。僕たちより上の世代の方々も同じような岐路に立った時期があられた事だと思いますが、広義的に言えば社会的な有名人の引退や他界。狭義的な事柄では地元を支え一世を風靡した方のご逝去など。自営を退かれたぐらいなら、なんとなく物足りない寂しさを感じる程度で済みますが、栄枯衰退ではなく時代を作った方の永遠の旅立ちなどは、昔はその方々の生き様や仕事ぶりに憧れの眼差しを向け、背中を追いかける事に夢中であまり考えることが無かった感情が芽生えています。
先月あるお店を営まれていた方が去年の初めに亡くなられていた事を知りました。僕らの世代にとっては佐世保を代表する、思い出の店と言っても過言ではない個性的なお店でした。30数年前、同級生から街の中心地に建つ雑居ビルの3階にある、その場所に連れていかれた時は、今まで通っていたファーストフード店や、街中にある既存の喫茶店などとは比較しづらい独特の空気感に、新しい文化に触れたカルチャーショックを受けました。メニューに表示された1杯の安さにも驚きましたが、ジャックダニエルをロックで注文し、目の前に出された時の量にも衝撃が走りました。
店内のBGMは1階の通りにも流され、音源の種類は時代に媚びない少しザラついた感じのアメリカ音楽。(お店の雰囲気や骨っぽいマスターの個性そのものだったと思います)
数年前からまた、たまにお邪魔する機会が出来ましたが、青い看板を横目に細長い階段を登り切った右手に古き良き佐世保を象徴する、懐かしく変わらないお店の扉がありました。全体的に木目を基調にした、年季が入りながらも手入れの行き届いた店内のテーブルやイス。オープンしてから数十年経ち、使い込まれている調理器具や厨房の清潔さ1つを見ても、マスターの心意気が感じられるお店でした。その厨房側のカウンターに座り、ビールを飲みながら手が空いていらっしゃったら、マスターの人生観や商売に対する哲学をお聞きするのは、人生においての貴重な課外授業でした。昔よりは白髪が増えられたものの、初めてお見かけした時と変わらぬ髪型に凛とした立ち姿。細身で童顔ながらも男気と責任感の強さが滲み出ていらっしゃり、しっかりとした意思を持たれた表情。
北九州の高校を卒業され、福岡で社会人生活を数年経験された後に佐世保に移り住まれたとの事でしたが、あたかも佐世保で生まれ育ったかのように的確な街の本質を語られた時には、マスターの洞察力の深さや自頭の良さに感服致しました。良い客筋に恵まれ、その方々と損得勘定に捕らわれず、ひいき目抜きの時間を過ごされて来られた事が伺えます。その積み重ねが店の随所に溢れる味わい深い歴史なのでしょうね。
少し前にマスターの奥さまと立ち話をする機会がありました。お互いお勤めになられていた、ある大手飲料メーカー時代にそこでお2人が出会われたこと。奥さまに語られていた、今は立派にご活躍されているお嬢さまへの父親として抱かれていた想い。おととし末に入院されてから、瞬く間にご逝去され、気持ちの整理が追い付かなかったが、これからも残された家族みんなで前を向いて歩いて行こう、とお話をされた事などを聞かせて頂きました。物静かなトーンでしたが奥さまの視線の奥と口調に含まれた熱量から、マスターの存在が想像以上に大きく、そして他界された今でも家族としての繋がりがどれ程に強いのかが手に取るように伝わって来ました。
最後の時期には意識が朦朧とされながらもお店のことを気がけていらっしゃったとのお話でしたが、商売人として職人としても鑑のような方だったと思います。そして、そのように打ち込めるお仕事や奥さま達のようなご家族に恵まれたマスターは、とても幸せな人生を送られたのではなかったでしょうか。
この場をお借りし、改めてマスターのご冥福を心よりお祈りいたします。
マスターお疲れ様でした。そして本当にありがとうございました。
まだまだ寒い日が続きますね。皆さまもお身体には用心されながら毎日を楽しまれて下さい。ではまた。
令和6年2月某日 にゃんこ部屋管理人
新春あけましておめでとうございます。今年もこの場を借り、皆さまに謹賀新年のご挨拶をさせて頂ける事に喜びと冥利を感じる年の初めでございます。
昨年もスポーツ面で、WBC日本代表が迎えた決勝戦にて、大谷翔平選手が3対2という緊張感溢れる接戦の末、9回表の最終回を見事なピッチングで抑え、対アメリカ戦を見事に制し3大会ぶり3回目の優勝を果たしたり、12月26日にはプロボクシングでアジアの至宝、井上尚弥選手が一昨年のバンタム級4団体タイトル統一成功に続きスーパーバンタム級においても、たったの1年で史上2人目となる、2階級での4団体統一王者としとて華々しく実績を伸ばし(バンタム級時代も含め、すべてノックアウトで2階級4団体タイトルをもぎ取る偉業を達成したのは井上尚弥選手が世界初で今のところ唯一です)、また同じくプロボクサーの井岡一翔選手が大晦日におこなわれた、WBAスーパーフライ級タイトルマッチでは文句なしのKO勝利で王座防衛を飾り、真冬の夜を熱く沸かせた事以外は、この数年間に渡りお世辞にも明るいニュースが世の中を賑わせたとは言えない1年だったと思います。
僕たちの生活を取り巻く環境は自然界をはじめ、政治経済、世界情勢ともにこの発達した現代文明を否定し、逆行するかのような蛮行した流れを歩み出した兆しが見えます。しかし、その中でも屈託のない入居者様たちの笑顔やその毎日を粉骨砕身、全力で支援するスタッフ達の姿、また常に親族として入居者様へ思いを寄せていらっしゃるご家族さま方のお気持ちを一身に受けさせて頂き、そのような真心をこんな時代の一筋の光明と置き換え、励みにさせて頂いております。
年末のクリスマス前、ある入居者様のご長女様がお母様へと恒例の手作りのリースをお持ちになられました。ご本人のお召し物もセンスが光られる方ですが、ハンドメイドのレベルも目にしたスタッフ達から毎回、称賛の声をお受けになられる程の腕前で、販売しても良いのではと思う出来栄えです。沈みがちな情報が錯綜している昨今ですが、今年制作されたリースを見た瞬間心が洗われるような気分になれました。造形の見事さもさることながら、全て本物のハーブやドライフルーツを使用され、鮮烈で逞しい自然の薫香が辺りに漂い、目で楽しむだけでなく、ハーブから放たれる成分を吸い込んだ身体の中からも、植物本来が持つ効能に癒されました。
親御さまに向けられる敬う形はご家庭でそれぞれですが、惜しみない皆さまのお気持ちを拝見させて頂き、僕たち施設側の従事者も改めて鑑み、気づかされる事が沢山あります。
無事に年も跨ぎ、慌ただしくも静謐な年末年始を経て、通常の毎日が戻ってきた今日この頃。今年も皆さまからのご愛顧を授かればと切望しております。
皆さまが辰年に相応しい、隆盛に満ちた希望と喜び溢れる飛躍の1年を過ごせますよう、豊寿会一同より心から祈願させて頂きまして、年始の挨拶とさせていただきます。
新年の挨拶に便乗させる事について、いささかの疑問を感じずにはいられませんが、元旦の16時10分に発生し、最大震度7を観測した石川県能登半島地震の災害に遭われた地域の方々及び翌日2日の18時前、東京羽田空港での日航機・海上保安庁航空機追突事故による、被害に遭われた方々のご冥福とご快復、また一刻も早い復旧、復興を心よりお祈りし、謹んでお見舞い申し上げます。
令和6年1月吉日 にゃんこ部屋管理人
今年も残す所あと1ヵ月を切り、師走の時期に突入致しました。確かにこの1年も順風満帆ではなかったにしろ、皆様の多大なご支援により、お蔭様で紆余曲折ながら12月の今日まで 漕ぎ着けることが出来ました。
毎年の事ですが、月日の過ぎ去る速さに驚きつつも、日々の出来事に感謝の気持ちで一杯です。
率直に世の中を申せば、去年から続くロシア、ウクライナ間での戦争も収束の目途が立たないどころか、新たにイスラエル紛争の再発、国内では日常の生活用品を含む、過去最多で右肩上がりの物価上昇や更なる増税案と手放しで喜べるニュースが見当たらないのが現実です。しかし毎日、入居者様に無償の真心で対応してくれているスタッフの姿や、事務的な手続きで来所された時などのご家族様の入居者様への想いを見聞きする時、束の間ですが重苦しい浮世の憂さを忘れさせて頂いています。
施設の中ではユニット内やエレベーター前のフロアーで、階ごとに趣向を凝らしたクリスマスの飾りつけが施され、なかにはスタッフYさんが業務と私生活での多忙な最中、自宅で作って来てくれた手作りの装飾品がユニットの食堂の天井一面にキラキラとぶら下がり、冷たい木枯らしが舞う今の季節も入居者様の為にという、そんなスタッフ一同の心配りで華やかさと同時に温かい気持ちが建物全体に溢れかえっています。
僕のアパートはテレビが映らないので、ラジオに耳を傾け(それと立ち読みで)世間の情報を収集する生活様式なのですが、通販番組のCMで年末の団らん向けの食材の放送や、不意にクリスマスを想起させる曲が流れたり、島瀬公園恒例のカップルや家族連れで賑わう夜空の下に際立つイルミネーションなどを目にすると、暦の上や業務上の都合だけでは無く五感でも年末を感じますね。
今までもクリスマスパーティーと称しては、ほとんどが男ばかりで集まるただの飲み会しかした事がなく、ロマンチックなイブとは無縁の人生でしたが、それでもやっぱり毎年この時期は年甲斐もなく気分が高揚します。 そしてその後は年の暮れから新年に向け、1年を回想し反省と次の年への新たな決意を頭に描く、慌ただしくも荘厳な数日間。
終わり良ければと締めくくれそうな今年も、数多くの良縁に恵まれたゆえです。365日の日々を振り返れば、自分たちの実力だけでは決して維持することが出来なかった毎日。外部からの手厚いご協力があり、我々スタッフは全力で目の前の業務に取り組みやすい環境になると思い深謝しております。もちろん自分たち自身も更なる高みを求めて努力を重ねる事は言うまでもなく、来年の干支である辰年に相応しい飛躍の年になるよう各職域で連携を図り、チームワークで精進してまいります。
来年も入居者様やご家族様をはじめ、豊寿会にゆかりのある総ての方々のご多幸を心より祈願し、職員一同より厚く御礼申し上げます。
新しい年も変わらぬご愛顧の程をどうぞよろしくお願い致します。
皆様、素敵な新年をお迎えください。
今年も本当にありがとうございました。
令和5年12月某日 にゃんこ部屋管理人
日が短くなり、施設や近所で外灯の明かりが早めに灯るようになってきました。街のいたる所でも、ちらほらとクリスマス仕様が見受けられてきました。
小学校に上がる前からすでにサンタクロースの存在の有無を親から教えられていたので、ファンタジーな意味合いでのクリスマスに対する夢見心地は早くからありませんでしたが、やはりこの時期は街全体が幻想的に彩られた感じがして、生粋の仏教徒の僕でもなんだかウキウキとした気分になりますね。
話は変わりますが、以前お越しになられた数組のご家族様の面会に立ち会わせて頂いた時のことです。入居者様を1階のロビーまでお連れし、ご案内させて頂きましたが、エレベーターを降り、僕たちの声掛けには反応を示されない状態でも、お孫さん達が手を握り、腕や肩を擦られながら声をお掛けになられるとうっすらと目を開き、表情筋が微かながらに変化を見せられ精一杯応答されたり、またある方はガラス戸前でしたが、これまたお孫さん達と対面されると、それまで無表情だった方が満面の笑みを浮かべ「良かったぁ」「ありがとう」などの言葉を口にされ、厚めのガラス越しでお互いの声が聞き取りにくいにも関わらず、あちらの呼びかけに応じられていました。気持ちの上での対話が成り立っていらっしゃるのでしょうね。多分、僕たちでも同じ場所で会話をしてみても、なかなか成立しにくい条件下の中で、制限された時間いっぱい涙を交えた笑顔で久方振りの再会を満喫していただきました。
歓喜の感情が飛び交う現場はいつ見ても良いですね。この仕事ならではの醍醐味だと思います。
ある方のお誕生日前に、お孫さんや曾孫さん達が10人近く、玄関の外から手を振り、聴覚的には届かないであろう祝福を捧げに来られた時、引率者であるその方の息子さん(お孫さん達のお父さま)とお話をしました。ご一家の繋がりの強さに驚きを隠せず、すごい団結力ですね、と息子さんに言うと、目を細めその光景を眺めながら「だいぶ可愛がってきましたからね(皆様を)そいが返って来てるだけですよ」とのお返事でした。
善の領域での因果応報を目の当たりにさせて頂きました。
車や楽器、仕事道具にいたるまで、日頃から感謝を込めて大切に扱えば、やはりその分の気持ちにちゃんと応えてくれる気がします。生き物に対してもそうだと思います。職人さんや趣味の範囲でも、熱く真剣にのめり込んで何かに取り組んだ経験のある人たちは異口同音でその事に同意されます。
車好きで九州各地を飛び回る営業職をしている親友が言っていました。もう寿命を越えているだろうと思わしき営業車が『いつもありがとう、だけど頼む、もう少しだけ頑張ってくれ…』と念じ労りながら運転していると、外せない時期の仕事を終えたある日に高速道路を降り、周りの邪魔にならず、レッカー車を呼びやすい場所で完全に役目を終えた事や、今の僕の相棒ジーノと出会った中古車屋さんの社長さんからも、経済的に余裕があるお客様で新しい車の相談に来られた時、その時に乗っていた車を見て、まだ十分乗れるでしょう?と助言しても、『いやぁ、こいは次の車ば買うまでの下駄替わりやけん』などと言っていたオーナーの車は十分な状態だったにもかかわらず、なぜか故障が続いての買い替えになったなどのお話を聞いた事があります。
包丁の手入れを怠り、調理時の材料でも扱いを疎かにし出した飲食業者で雑な傾き方をした人たちも見てきました。
まぁ、何でも不思議な縁に結び付けるのは、こじつけになるのかも知れませんね。それらに向き合う姿勢というものが結局は必然的な流れとなり、時として偶然という形で人の目に映る時もあるのでしょうしね。
数年前にヨガのインストラクターの同級生が言っていました。
「すべてが私にちょうど良い」
才覚や資質も必要でしょうが、達成できる事柄の大半は努力を投じた分の見返りなんでしょうね。人の世の間柄もそんな気がします。
皆様いつも本当にありがとうございます。
先週からかなり冷え込んで来ましたね。少し前には北海道で極端な初雪が観測されたみたいです。
季節の移ろいを楽しみつつ、皆さま風邪や流行り病にはお気を付けください。
令和5年11月某日 にゃんこ部屋管理人
今月に入り、晴れ間が続く気持ちの良い数日間です。先程は雲1つ無い空の端で、どこかに向かう飛行機が白い尾を引きながら、淡いパステルカラーに広がる秋空のキャンバスに鮮やかな線を描いていました。
もちろん絵画を眺めるのも好きですが、僕は日常や自然が偶然に織りなす一瞬の造形美が大好きです。
近頃、施設の周りやアパートの敷地内で新しい猫たちを見かけます。みんな成猫ですので、最近流れてきたのでしょう。施設の方では好奇心の強い猫は、ドアの向こうの角の辺りからこちらの様子をうかがったり、駐車場を探検しているような子もいます。
季節が深まるにつれ、猫たちの自慢の毛皮も、人も街の様子も秋の装いが進んで行きます。街の至る所に飾られ出した、まばゆく賑わうイルミネーション。山肌をほんのり彩る華やかな自然の錦。今年もまたこの風景を目にする事が出来て幸せに思います。
日に日に暁が遅くなり、辺りが寝静まっている時分にニミッツ・パークへ足を運んだり、近所の広場で身体を動かしていますが、その時間帯に同じような目的で過ごす人たちが結構いらっしゃる事に意外さを感じます。澄みわたるキリッと引き締まった空気の中、名切グランドを通り過ぎながら、植樹を地面から照らすアップライトに目を向けたり、10年ほど前に交流のあった猫の夫婦や仔猫の3兄弟を思い出したりし、様変わりして行く早朝の佐世保の中心部を週に何度か横切ります。国道の十八親和アートギャラリーの前で信号待ちをしていると、駅の方面から走ってくる空車の表示灯が消えたタクシーは、夜の名残を引きずるお客さんを乗せた、運転手さんにしてみれば終業間近のひと仕事。
1日の始まりの前に日課をこなす人間と、その日の遅い終わりを迎える人間たちが交差する、極端に反比例な場所。
信号が青に変わった横断歩道を渡り、数分歩けば100年以上前から流れる川に架かるアルバカーキー橋。その数十メートル両脇の橋たちは、昭和の時代にいくつかの熱い歴史を刻んだ佐世保のランドマーク。
この2つの橋ができて佐世保の社会経済的な機能や市民の生活は飛躍的に向上したんじゃないでしょうか。
以前、とある飲み屋のカウンターで隣り合わせた、20代前半の道路工事に関わる会社の作業員の人と話をする機会がありました。彼は高校卒業後からその会社で勤め出し、正直、最初の1、2年間は仕事に身が入らず、上の人から言われた作業を失敗しない程度にこなすだけ。という毎日を過ごしていたそうです。しかし、仕事でインフラが整っていない現場に赴いたり、プライベートでバイクを運転し、舗装の状態が悪い道路を走っている時に、いつも何気なく利用していた道路や信号機など、街の設備が当たり前に毎日使えていることが実は非常に重要な事なんだと気付き、またそれらを作り維持する事の不可欠な必要性を痛感し、それから彼は自分の仕事にやりがいと責任感が芽生え、誇りを持ち普通である生活を守る為、積極的に作業に取り組めるようになったそうです。
「僕たちがこの店に来るために乗ったエレベーターや座っているイス1つをとっても、それに関わる人達のおかげなんです」
と、素晴らしいことを言っていました。長めの派手な茶髪と耳には数か所ピアスを入れた一見チャラついた雰囲気の若者でしたが、きちんと礼節をふまえた、かなり気骨のある考えをしっかり持った好青年でした。どんな世代とかは関係なく、いつの時代でも芯の通った人はちゃんといますね。
ニミッツ・パークでは、クールダウンでフェンスの中のグランドに入り、星を見上げるのが日課の〆の楽しみです。このグランドにしても、どなたかが整備し管理してくれているおかげで僕たちが気持ちよく利用できています。
世の中すべて自分以外の方々の『お蔭様』で成り立っていると思います。僕も誰かの『お蔭様』になれていたら良いのですけど。
やっと例年通りに秋らしく冷え込んできたかと思いきや、今日は机の近くの窓を全開にしているほどの陽気です。休みだったら相棒ジーノと景色の良い所に出かけたかったですね。
明日は九州の広範囲で空模様が荒れるみたいです。皆様お出かけの際はご用心下さい。ではまた。
令和5年11月某日 にゃんこ部屋管理人
日中はまだ汗ばむ時間がありながらも、朝晩はだいぶ冷え込んで来ましたね。夜空を仰いでも夏と比べ、大気中に含まれる水蒸気が少ないためか、空全体が広くすっきりと冴え渡って見えます。
いくつかの代名詞に飾られた秋の例え、皆様におかれましてはどの様な秋をお過ごしでしょうか?
昨今の温暖化現象(最近ではもう沸騰化と言われ出しているみたいです)などの影響からか、秋の紅葉も見頃が以前より遅くなっていますが、並木道の街路樹の枝葉は徐々に色づき始め、やはりひと月前よりはかなり豊かな情趣が溢れた季節になってきました。
秋は夏と冬という厳しい季節に挟まれた間の季節。ですけど、春とは違い想いふけるという呼び方が似合う、ゆるやかに時が流れる次の季節への通り道。春のこれからの前進を感じる躍動的な時季に比べ、秋はなんだか通り過ぎて行った月日を思慮深く思い返すのに適した季節じゃないでしょうか。
1年を通した移ろいを重ね、それぞれが個人として長い年月をかけて蓄積してきた貴重な時間。そして振り返ると、後からついてくるのは自分の影と共にできた道。その道のいたる所には、それまでの己の歩みが作り上げた自身の生きてきた証。
たまには目まぐるしく走り去る日常から離れて立ち止り、思い出の扉を開き、珈琲の香りなんかと一緒にのんびり昔を懐かしんでみるのも乙な時間の過ごし方なんじゃないかと思います。
僕自身、生まれ育ちが佐世保という事もあって、小学生の頃から付き合いが続いている仲間もいますが、現在に至るまでに何ヵ所かの街で生活をし、10代の頃からの友人たちも知らない僕だけの固有の世界観や付き合いもあります。(どなたもそういう部分をお持ちでしょうが)毎回大した準備もせず、勢いだけで見も知らぬ街に飛び込み足をつけ、形の無いままスタートを切り、異なる地域性や文化や風習の土地で必死に、また同時に楽しみながら自分なりの歩き方を手探りで掻き分け前に進んできました。
指先で時計の針を戻してみても、決して2度とは戻る事の出来ない場所の数々。半分もお互いの母国語が理解できていない相手たちと鉄火場のような環境で並んだ時でも、真剣に向き合い、きちんと方向を指し示せば同じゴールを目指すことが出来るという経験に恵まれたり、その都度ですれ違ったり追い越され、別の道へ進んで行かれた色んな人たちに、かけがえのない沢山の大切なことを教えて頂きました。その方々と交わした言葉や過ごした毎日がまぎれもなく今の僕を形成しています。
ハタチの頃、月に何度か仕事帰りに立ち寄っていた佐世保川沿いの小さなバー。その数年後、横浜みなとみらいインター出口で動く黒いカウンタックLP500を初めて見た時の感動。荒っぽくも温かかった川崎の立ち飲み屋。NYタイムズ・スクエアのスタイリッシュでポップな喧騒。不夜城、台北市で帰国数日前にsee youと言い合い握手をして別れたが、多分もう会うことのない、とても親切だった地元のクラバーたち。ソウル市イテウォンの熱気を帯びた陽気な雑踏。
街によって変わる空気の質や漂う匂い、そしてその街特有の雰囲気や耳に届く生活音。
サーフィンが盛んな海の近くのいつも風が強い街もありました。
それらの体験すべてと出会った人たちが、手の平で開く様式ではない種類の僕の教科書です。
勿論この佐世保で目標の為、熱い気持ちを共有し支え合った仲間たちと汗を流していた日々や、仕事の行き帰りに一時期の交流があった猫たちとの触れ合いにしてもそうだと思います。系譜の長い子たちでは、3世代付き合いが生じた猫ちゃん一家もいました。
種は違えど最後の時期の大切な場面では、何かしら気持ちが通じ合えたと思える事もありました。
(時間をかけてきちんと分かり合う必要があった人たちとは上手く行かなかったケースが多かったですけどね 笑)
ふとした時、いくら駆け寄っても、もう辿り着くことの出来ないモノクロに染まりつつある時の彼方にぼんやりと目を向ける事があります。この歳の考えであの時に踏み止まっていたり、改めて修正できれば、今もまだ心の片隅でくすぶっている部分が、どんなに綺麗に整理がつくだろうかと思いますね。しかし、いま僕のそばに22世紀の未来からやって来た猫型ロボットがいて、いくつかのあの頃に戻る道を照らしてくれたとしても、実際に過去への旅を望むことは無いでしょう。
やはりひと時の、追憶の小旅行にとどめる位が良いのかも知れません。
まぶたの裏の銀幕に映し出される、きらびやかな物語。
いつまでも、あの頃はあの頃のままに。
記憶の輪郭はおぼろげになりながらも、感情のレンズ越しには今も鮮明な遠いあの場所。
もし、またいつかこの地球のどこかで、彼らに再会する事ができたら心からお礼を言いたいですね。
ローリン・ヒルでも聴きながら、あの頃に飲んでいた缶ビールでみんなと乾杯できたら本当に最高です。
最近、日が暮れるのがめっきり早くなってきましたね。肌寒い朝晩での体調管理はもちろんですが、皆様もお車を運転なさる時など、外出の際にはくれぐれもご用心下さい。ではまた。
令和5年10月某日 にゃんこ部屋管理人