~にゃんこ部屋管理人の独り言5~

~にゃんこ部屋管理人の独り言~ VOL47

今年も早いものでお盆も過ぎ、残暑の時期を迎えました。皆さま毎日をいかがお過ごしになられていらっしゃいますでしょうか?

 

最近、ふとしたきっかけで最高のアメイジング・グレイスに出会いました。故・神田沙也加さんのバージョンです。

幼さが残る神田沙也加さんの声から振り絞られるこの曲を初めて耳にした時、荒廃した世界に天から限りない慈愛が惜しみなく降り注ぎ、とても柔らかく温かい目には映らない神聖な衣に包まれた気分になりました。

様々な情報の媒体で恵まれた容姿をお持ちである事は存じていましたが、これまで神田沙也加さんに興味を持ち活動自体に着目したことが無かった為、ある種の恩恵を含んだ光を当てられた方だと勝手な認識を抱いておりましたが、アメイジング・グレイスを機に、彼女が生前に出演されたミュージカルを含めた動画をいくつか拝見し、そのキャリアの記録を辿ってみると、僕が持っていた認識は大きな誤解であったと思い知らされました。カリフォルニア在住の頃にバックボーンを隠して出演したアメリカ映画や、帰国してから立った有名演出家の舞台を、共にオーデションから大役に抜擢された実績など、出自や環境はどうだったであれ、間違いなく実力派の表現者のお一人だったと思います。

短過ぎる生涯の幕を自ら閉じられた原因は今だに定かではないようですが、想像を絶する重圧を跳ねのけ、歯を食いしばり努力を重ね、通常では計り知れない葛藤や苦悶を乗り越え、ご自身の居場所を作って来られた方だという事は十分に伝わってきました。

 神田沙也加さん、あなたが残した足跡を決して忘れません。

 

ひと月の中でも極端な空模様の日もありますが、晴れ渡った天気から一転、突然降りつける激しい雨などは、焼けついた大地を冷ます地球が備えた天然の安全装置でしょうね。現在は温暖化や環境汚染などの問題でかなりの生態系や、もとから持ち合わせた自然の摂理が崩され、多くの機能が損なわれていますが、食物連鎖の栄養段階における生物の出産量やふ化の量の比率、また起こるべくして見舞われる災害などには意味がある事だと思います。

人の身体も同じ事で、過剰な栄養の摂取や行き過ぎた運動や行動は結局のところ負担を招く結果となります。メンタルな部分でも度を越した気持ちの要求や供与は禁物です。私事になりますが2週間前、1日でひと夏分の日焼けを済ませてしまおうと、欲を出して肌を太陽の下で晒し過ぎたら、1週間ほど軽い焼けどの様な状態になり、衣擦れ程度の刺激にも悩まされました。何事も適度が1番なのでしょうが、たまに人は身も心も余計に求め過ぎたり与え過ぎたりする傾向があるようです。

 

皆さまも何事においても程ほどに留め、残りの夏を存分にお楽しみ下さい。

  

                                                                                                                                                                                                                 令和7年8月某日 にゃんこ部屋管理人

~にゃんこ部屋管理人の独り言~ VOL46

今年も後半の下半期に突入し、平年に比べると梅雨も早く明け、夏真っ盛りの季節となってまいりました。ユニット(入居者様たちの居住スペース)の中央ではスタッフが短冊などを飾り付け、七夕の雰囲気を盛り上げてくれています。竹の先に結ばれた揺れる色とりどりの短冊を目にすると、少し涼し気な気分になり、束の間の夢心地を味わえます。

 

七夕、夏休み前の恒例行事。僕が子供の頃の佐世保4カ町アーケードでは、それはもうド派手に各店舗で様々な趣向が凝らされた巨大な飾りをアーケードの屋根から吊るしたり、柱に大きな青竹をくくり付け、その枝から下げたりと、まさに梅雨明け前の1大イベントでした。いま考えると毎年この時期に4カ町商店街にお勤めだった方々が、閉店後に疲れた身体のスタミナをリザーブタンクに切り替え、町おこしの為に奮闘して下さっていたのでしょうね。時代も今より単純でしたが勢いがあり、多様な希望が至る所に溢れ、毎日根拠の無い熱い高揚感に包まれていたような気がします。

娯楽の数も限られ、販売されていたジュースやアイスクリームの種類も今ほどではありませんでしたが、十分に夏を満喫できていました。

 

ニミッツパークでは今週末の75日に開催される、インディペンデンス・デイ(アメリカ合衆国独立記念日)のイベント会場の設置がおこなわれていました。この夏も1つ、また1つと夏の催し物の準備が着々と進み、真夏の頂点に向かって幕が切って落とされる瞬間を待っているようです。

17歳の頃まで、佐世保のメインとなる行事ごとの熱気が伝わって来る距離の場所で生まれ育ちましたので、本番の日はもちろんですが、その前のお祭りが徐々に形となって行く番外編的なサイドストーリーを見るのも楽しみの1つでしたね。

 

昭和の夏、街の上の混じりけの無い真っ青な空を流れる大きな雲。そして更に高い場所に白い線を描く飛行機雲。その下の現し世ではお盆が過ぎるまでノンストップなお祭り気分の数週間。

 確かに昼間は暑かったですけど、現在ほどではありませんでしたし、日が沈めばぐっと過ごしやすくなり、昼夜問わず命の危険を感じること無く、思い切り開放的な夏の日々を楽しめていました。

 

今のところ、今年の七夕は晴天の夜を迎えられそうです。伝説の2人はすでに願いの糸を手に取り、天の川での逢瀬を待ち焦がれている事でしょう。

何年後も何十年先もふと振り返った時、きらめく夏の思い出を皆さまもお作り下さい。

 

 

夜中はだいぶ気温が落ち着いていますが、日中は凄まじい熱さが大地を暴れ回っています。室内や車内でも油断せず、熱中症にはくれぐれもご用心をなされて下さい。ではまた。

 

                                                                                                                                                                                                                 令和7年7月某日 にゃんこ部屋管理人

~にゃんこ部屋管理人の独り言~ VOL45

先週の休日、とある寺院の一画でしばらくの時間を過ごしました。駐車場までの帰り道に通りかかった山門をくぐれば、下の国道へと続く急な勾配の長い石段。その両脇を囲む松の大木や紅葉の木の揺れる葉先は午前中の新鮮な陽射しを存分に浴び、活き活きと精彩に満ち溢れ、そして濃い緑の向こう側には真っ白い雲がのんびりと流れる青い空。目に映った壮観な景色はまるで俗世間から切り取られた実寸大の絵葉書さながらでした。

 

この日は晴れ間が広がり、梅雨入りも例年と比べると早かったですけど、なにかすでに梅雨は明けたような万緑の1日でした。若葉時の翠雨の風情を愉しむ余韻も無いまま季節に置いてけぼりを食らった気分です。

 

子供の頃は交通量の多い街の中の道路沿いの雑草や溝でもバッタやカマキリ、オタマジャクシなどを見つける事が出来ましたが、この数十年、オタマジャクシに関しては本物を目にしたことがありません。佐世保はまだ充分に自然が残されていると思いますので、あとは環境の変化でしょうかね。カエルや昆虫も子供の頃は平気で触れましたが、いつの間にか自分にとって外敵以外の何者でもなくなってしまいました(笑)素手で掴むなど、全くもってとんでもない行為です大人になるにつれて身に付く常識や世間体といったものが自然界に対しての免疫や抵抗力をそぎ落としてしまうのでしょうか?小学生の時に映画インディ・ジョーンズシリーズ第1作目を観たあと、将来の選択肢の1つとして彼のように考古学の大学教授でありながら、古代の遺跡を自ら追い求める冒険家としての一面も兼ね備えた生き方を夢見た頃もありましたが、中学生の時分に公開されたシリーズ第2作目のある場面で、主人公たちの腕に巻き付くおびただしい数の虫を見た時に学力や知力、体力的な問題以前の話だと迷わず断念いたしました。僕にはもっと平穏であまり生理的に刺激を受けない穏やかな人生が向いていると悟らせてくれた映画でした。

壮大な冒険心はグラスの中の蒸留酒を傾け、部屋のディスプレイを眺めながら満たすぐらいが丁度いいみたいですね。

 

 昨晩から久しぶりに雨が降りましたが、早朝出勤してきたスタッフの話では、同じ市内でも中心部はまったく降っていなかったようです。

アップテンポのジャズピアノが心地良い初夏の夕刻、お陰様で今日は静かに1日が暮れています。

 

 

日中の気温が夏に向け暑さを増し、施設でも時間帯によっては入居者様や職員の体調管理を鑑みて、扇風機や空調を併せて使い出す時期になってまいりました。

皆さまにおかれましても上手に温度調整をおこない、高温多湿な今を快適にお過ごし下さい。

梅雨と共にまだ世間で燻っているコロナ過もどこかへ去って、以前の日常が早く戻って来てくれることを心より願っております。ではまた。 

                                                                                                                                                                                                                                         令和7年6月某日 にゃんこ部屋管理人

~にゃんこ部屋管理人の独り言~ VOL44


本日、九州南部が全国に先駆け梅雨入りしたとの発表がありました。沖縄・奄美より早い梅雨入りは71年振りで、全国トップは1951年に気象庁が統計を取り出してからは初めてだという事です。毎週楽しみにしているラジオ番組を聴取する時などに1週間経つのが早いなとは思っていましたが、今年もすでに年の半ばに差し掛かって来るとは、本当に月日の流れは早いものです。

 

今月の5日(現地時間4日)、アメリカ・ラスベガスのT-モバイル・アリーナで、スーパーバンタム級世界4団体王者である、東洋が誇る井上尚弥選手のタイトル統一後4度目の防衛戦が行われました。メキシコ系アメリカ人の最大級イベントである〝シンコ・デ・マヨ〟のボクシング興行のメインイベントにてリングで対峙した両雄。2ラウンド目に自身の左フックを右へのダッキングで外され、挑戦者のメキシコ系アメリカ人選手ラモン・カルディナスの体重移動の最中から放たれた強烈な左フックを顔面に被弾しダウンを奪われたものの、冷静かつ迅速な気持ちの切り替えで試合運びをすぐに優位な立場に戻し、7ラウンド目に渾身の右ストレートでダウンを奪い返し、続く第8ラウンドでは開始45秒後に見事な逆転TKOという、漫画や映画の主人公のような勝利をアウェーでありアメリカボクシングの聖地としても名高いラスベガスで収め、日本のみならず現地のボクシングファンをも熱狂させてくれました。

ちなみにこの試合の結果で、井上尚弥選手はプロボクシングの世界戦にて23KO勝ちとKO数を伸ばし、かつてジョー・ルイス選手が打ち立てていた世界戦22KO勝ちを77年ぶりの記録更新へと至ったそうです。

今回の防衛戦は記録もさることながら、井上尚弥選手が持つボクシングの身体的な資質だけではなく、試合中におけるリカバリーに関しての軌道修正能力においても超一流である証明を世界に知らしめた貴重な1戦になった事は間違いありません。

井上尚弥選手は、ほとんどの試合の度に偉大な足跡を歴史に残しているのではないでしょうか。

 

時計の針が何気なく刻む毎秒が、これからも数えきれない幾つもの熱いドラマや何気ない等身大の毎日を積み重ねて行くのでしょうね。

時々ご挨拶にお邪魔させて頂く事業所の職員さんがご結婚などを機に退職され、街を出て新しい人生を歩まれて行かれるのは、僕にとっても喜ばしく大きな1つの分岐点です。古今東西、同じ水の流れと吹く風は無く、振り返ればそこにそれぞれの道ができて来るのでしょう。

 

僕の独り言は時の流れや空に関することが多い気がします。別に過去を振り返り偲んでいる訳では無いんですけどね(笑)空については確かに果てしない大空や、その先に広がる宇宙への好奇心や憧れが指先に宿り文字を起こしている節は否めません。

季節に話を戻しまして、梅雨はジメジメとして他の季節に比べ、あまり人気が無いというか、とりわけピントを合わせて話題に上ることが少ない時期のような気がしますが、僕はけっこう好きな季節です。住んでいるアパートが小高い森に隣接し、建物自体も古い事が合いまり、多湿な環境が生み出す程よく鼻をかすめるカビの匂いが、日本特有の季節感を醸し出してくれている感じがします。なにか子供の頃たまに行っていた、庭の裏手が田んぼだった祖父母の小さな家を想起させるノスタルジーな感覚が芽生えて来ます。

休日の朝も6時頃には寝床を出て、何かしらの雑用をこなしていますが、時間帯によって出かける他の住人の方々の足音や、駐車場の車の音といった生活音を耳にし、徐々にその日の始まりを実感します。僕は休みの日にしか聞くことが出来ませんが、アパートの階段を元気に下る小さいお子さん達の賑やかに響き渡る声も、欠かせない朝の1コマです。ご近所さん達の変わらない日常の営みが私生活での僕の癒しであり、安心の目安となっています。

朝起きて、何事もなく日が暮れてまた眠りにつける。実はこれが1番幸せなことかも知れませんね。

 

 

皆さまにおかれましても急な天気の乱れや日中の気温の差で体調などを崩されませんようご用心下さい。

ではまた。

 

                                                                                                                                                                                                                                         令和75月某日 にゃんこ部屋管理人

~にゃんこ部屋管理人の独り言~ VOL43


今年度が始まりましたが皆さま心機一転、新たな気持ちで今月の1日を迎える事が出来ましたか?先週降った雨や、数日吹きすんだ強い風などに負けず、佐世保市内および近隣各地の桜も、花びらを散らすことなくこの日を迎えてくれました。

春は僅かな期間を境に出会いと別れの両方を経験しやすい季節ではないでしょうか。


ある職員さんがご家庭の事情により先月の31日に退職され、平穏な毎日というのは、やはりただの普通の日々ではなく、1人ひとりが誰かの為に互いを支え合う上で成立する結果だと再認識しました。6年もの月日の中で私生活での義務と並行し、多忙なご自身の業務に加え、聡明で明晰な判断力と行動力で、様々な多岐にわたる施設での立ち回りに全職員や、すべての入居者様が助けて頂いた事かと思います。今回、冒頭のこの場をお借りして職員一同を代表し、改めて感謝の気持ちを述べさせていただきます。6年間、本当に有難うございました。Mさん、新天地でもご家族揃って仲睦まじく充実し、ご多幸に恵まれた毎日を送られて下さいね。数年後にまた、この場所でご一緒出来ることを心より願っております。

 

全国的に冷え込んでいると言われている今年の花見シーズンですが天候には恵まれ、所によっては平日の夜でも大盛況で賑わう公園もあります。この2年ほど僕は以前のように仲間と昼から桜の下で酒を呑むというイベントは開催していませんが、散歩やドライブがてらニミッツ・パークや猫山ダムなど数か所の桜を愛でに行ってきました。猫山ダムの桜並木はダムの向こう岸まで続く歩道を枝が覆うように咲き乱れる場所もあり、さながら桜の花の回廊が並木道を春色に彩り、奥の方では小さい滝が流れ、品評会に出せそうなぐらいの見事な鯉たちが水槽で泳いでいたりと、ちょっとした植物園ばりの充実ぶりでした。ただ、その距離が僕にとってはロールプレイングゲームの中で展開される勇者の冒険並みに果てしない旅となりましたけど。

 

ほんのりとした酔い心地で桜のたもとに身を委ねるのも粋で乙な春の逸楽だと思いますが、素面で花冷えの風に揺れる枝や舞う花びらを目で追うのも昼夜の空の下、それぞれに違う豊かな表情があり、とても情感的な気持ちをそそられます。

他にはアパートのベランダに舞い散る桜の花びらをのんびりと眺めながら、音楽とコーヒーで寛ぐひと時がこの時期のお楽しみです。

春のうららかな午後、鼻腔を満たすコーヒーの香りとスピーカーから洩れるお気に入りの古い楽曲たち。浮世のしがらみも忘れてしまいそうな、ゆるやかで穏やかな昼下がり。春を満喫するために最低限の5感以外は必要のない贅沢な至福の時間。

四季の自然をいつくしむ文化や風習のあるこの日本に生まれ育つ事ができ、心から幸せに思います。

 

今年度も利用者さま第一で、関係者各位の方々にもご納得頂ける施設を目指し、各職域で惜しみなく努力を重ね、既存の体制を維持しながら新しい取り組みなどにも挑戦し、更なる成長を目指して参りたいと考えております。

この令和7年度も皆さまからのご協力、ご支援ご指導など、切によろしくお願い致します。

 

令和74月某日 にゃんこ部屋管理人

~にゃんこ部屋管理人の独り言~ VOL42(2)

特攻平和会館へは早めに行ったつもりでしたが、すでに観光バスの駐車場の方からは欧米系の外国人や、年配の日本人の方々が歩いて来られていました。昨日より晴れ間も見え、地面も乾いて探索日和な1日でした。

いよいよ待望の特攻平和館内へ足を踏み入れました。壁に掲げられた隊員たちの最後の写真。溢れんばかりの笑顔や、志願した任務に対し誇りに満ちた面持ちでレンズに視線を向け、覚悟の先を見つめる若者たち。ガラスのケースの中に並べられた隊員たちの遺書や遺品。モノクロの静止画は今にも全部が動き出しそうなくらいの躍動感と情感に満ちた写真ばかりで、書き残された手紙の内容は正常な人間なら誰もが持ち合わせた、散っていく苦悩と生への執着心。そして、置いていく愛する者たちへの自身の未練などはさておき、どれも短すぎる命の灯の際で己の事より、ご家族や親しい人達のこれからの事を案じ敬う、慎み深く慈愛に満ちた物ばかりでした。本当に本当にすべてが〝個〟としての脆弱な人間性の1面を見事なまでに押し殺し、最後まで人格者として筆を走らせた立派な辞世の句ばかりでした。

後ろに立っていた白人の老婦人も嗚咽を漏らし、目頭にハンカチを当てていらっしゃいました。それを見て、あの頃は国同士の衝突を余儀なくされていた関係でも、人として根底に流れる大切な気持ちは同じだという事を再認識しましたね。

また、別のブースで流れていた、語り部の知覧高等女子高3年生の時、女子勤労奉仕隊員だった前田笙子さん(現 永﨑笙子さん)の動画の中で、インタビュアーがあの頃、出撃していく若い隊員たちの事を可哀そうだと思ったか?の質問に、ここも(知覧の地)も戦場だと思っていたし、私もここで果てる覚悟をしていたので。というお答えに、上品な口調から発せられた、少女時代の前田さんの決意の言葉が心の中に重くのしかかりました。

幸運にも映画館並みの視聴覚室で30分程の映像資料を観る時間にも恵まれ、会館を後にしました。表に出ると、昨日とほぼ同じ場所で環境美化のおかあさんがお仕事をされていたので、お疲れ様ですまた来ました~とご挨拶をし、再度少しの間、立ち話をしました。そのおかあさんからは広島の原爆ドームを勧められました。

その後は自分の車に乗り込み特攻平和会館前の参道を走り抜け、近くの簡易郵便局に入り、特攻平和会館でもらったガイドマップに載っている跡地の方向と大まかな行き方を教えて頂きました。

滑走路をはじめ、飛行場だった範囲はほとんどが取り壊され畑などになっていて、その畑の中を突き進む所もあると説明は聞いていたのですが、本当にあぜ道のような地元の方でもこの畑で働いている人しか近寄らないような道も通り、途中で小さな公園で作業をしていた男性に、もう1度場所の詳細をお伺いし、最初の目的地に着きました。

しばらくそこで80年前に流れていた時間を想像し、先ほどの公園の男性にお聞きした他の跡地に向かいました。行ったり来たりとその辺りを回っていたら何となく土地勘が掴めてきたのですが、『なでしこ隊見送りの地』の正確な場所だけが見つかりませんでした。他の跡地は石碑などが建っていたので判りやすかったのですが、『見送りの地』だけは目印になるものが無く、かなり車で近所を探してみましたが、おおよその見当しか付かず、ちょうど付近の畑でお仕事をされていた年配の女性を見つけ車を降り、その女性にお尋ねしました。するとこちらに近寄りながら、手の平を開き両腕を左右に大きく振り「だいたい、この辺りが全部そう」と教えてくださいました。滑走路だった方向を指さした後、道路向いの畑などを指し、あちらから飛んできた飛行機に、皆がだいたいこの辺でお見送りをしていたみたい、とおっしゃられました。2人で空を見上げ、戦争中にこの空ば覚悟ば決めた若者が操縦する戦闘機の飛んで行きよったとですね…とつぶやくと、そう。とお返しになられた、短くも深い意味のこもった一言。農作業中にお手を止めさせた非礼をお詫びし、車に乗り込み知覧を離れました。

 

今回訪れた跡地で1番印象深かったのは三角兵舎跡でしたね。兵舎自体はもうありませんでしたが、駐車場から、小高い森の中へ続く木の縁で出来た階段を登りきった所で、少し広がった平坦な場所がそのようでした。高く成長した杉の木々が、隊員たちが身を寄せる兵舎を空から隠すような立地になっていました。広場の脇に東屋が2つあり、1つは休憩用のベンチ、もう1つは当時の三角兵舎の見取り図を模した大きなパネルが展示され、見取り図の下には特攻平和会館のブースで語られていた女子勤労奉仕隊員の前田さんが書き留められていた特攻日記が3週間分ほど紹介されていました。かつてこの地にあった三角兵舎は特攻隊員たちが出撃前の数日間を過ごす終の宿泊施設で、今はとてもひっそりとし、これといった物は無い場所でしたが、森林に囲まれ当時の隊員たちの功績を称えるかのような、清らかで優しい雰囲気に包まれていました。

場所によっては石碑の説明書きだけで畑や住宅地になっている所もあり、どの跡地もこの日のその時間は僕だけでしたが、どこも穏やかな聖地といった感じでしたね。

 

きれい事で飾り付け、特攻を美化するつもりは毛頭ありません。海軍や陸軍の他の英霊たちに対しても同様です。しかし、この方々をはじめ生き残り戦後の日本を再建して下さった、あの頃の皆さまの多大なご尽力で現在の日本があるのは事実ですし、僕たちは間違いなくその恩恵にあやからせて頂いています。崇めまではせずとも誠心誠意の感謝を忘れず、日本人として風化してはいけない史実だと思います。

 

義勇の名のもとに〝私〟という概念を捨て母国を護る為、かけがえのない人生を捧げ果敢に散華して行かれた方々。

今更ではございますが、皆さま本当にお疲れ様でした。

そして本当にありがとうございました。

 

次に空を見上げる時は夢と希望に満ちたお気持ちで、大切な人と心ゆくまで青い空をお楽しみください。

せめて今は安らかにゆっくりとおやすみ下さい。

 

 

令和73月某日 にゃんこ部屋管理人

 


~にゃんこ部屋管理人の独り言~ VOL42(1)

この前、鹿児島の知覧へ行ってきました。

知覧インターチェンジを降り、左折して知覧特攻平和会館を目指しました。曇り空ではありましたが、前日の夕方までの天気予報で滞在予定の日数は雨模様でしたので、傘を差さずに過ごせそうなだけでも有難かったですね。知覧の町へと進むごとに道路の両脇や畑などには、出迎えるかのように目に飛び込んできた、黄色い菜の花が可愛く蕾を開かせ、慣れない道を走り続け、すり減っていた神経を和ませてくれました。ずっとずっと前からこの地を訪れる人たちを歓迎するかのように咲き並んでいたのでしょう。

 

知覧特攻平和会館に到着したのは遅い午前中でした。すでに多くの観光客が会館外の思い思いの場所で、当時の隊員たちにまつわる説明が刻まれた石碑や復元された戦闘機や兵舎を、感傷と崇敬や労いなど、いくつもの感情が入り混じった表情で見つめていました。僕も周りの数ヵ所で戦争遺跡を見学し、特攻平和会館隣の野球場で環境美化の作業をされていたおかあさんや、駐車場で待機されていた地元のタクシーの運転手さんに特攻隊基地跡で生活するお気持ちや、その当時の歴史に関するお互いの想いを立ち話したのちに、日本陸軍公式指定で特攻隊員ご用達だった富屋食堂の復元資料館へと足を運びました。

 知覧は武家屋敷群が存在したり南九州市役所前の小さな川に水車が回っていたりと、昔の情緒を今に残したセピア色の風景が似合う町並みでした。そんな通りの一角に近所の景色と調和したノスタルジックな佇まいで、先入観もあったのでしょうが、懐かしくもどこか切なくそして温かい雰囲気を感じさせる富屋食堂に到着しました。

 建物自体は実物を知らないので復元の忠実さを計る事はできませんが、2階にのぼる階段横の小部屋1つを取っても、昭和初期に建築された日本家屋のニュアンスをかなり精密に再現されているのではないでしょうか。

柔らかい明かりに照らされた室内で展示品の数々を拝見させて頂きました。女将の鳥濱トメさんは、祖国のために片道覚悟で出撃する隊員たちのために、私財を投げながら最後に所望する食事を振る舞い、時には彼らの手紙を預かり、それぞれの家族の元へ届けたりと、普通の女将と客たちとの関係を超え、魂で繋がっていた間柄だったようです。

明日もしくは数日後に自らの命を賭して作戦に赴く若い青年および少年たちの最後のリクエストが、女将である鳥濱トメさんの手料理を食べる事や、自分たちの想いをしたためた手紙を託すことだけだったという、その選択肢の限られ過ぎた状況に、恵まれた時代に育ち、気が済むまで自由を謳歌してきた僕はきつく胸が締め付けられました。

時代の激しい運命の濁流に翻弄されながらも、屈託のない、はつらつとした顔つきでカメラの前に立っていたあの時代の方々は本当に凄いですね。

近所を歩いたり車で回り、この道も隊員の方々が通ったのかもとの思いを噛みしめ、夕方宿泊先のホテルへ向かいました。途中でスーパーに立ち寄り、お惣菜とチーズとウイスキーを買い込み、ホテルの部屋で初めての町の夜を過ごしました。

翌朝は出張の会社員らしき人たちに混ざりホテルのバイキングで朝食を取り、再び知覧の町へ…。 ※VOL42 (2) へ続く




                                                                                    令和73月某日 にゃんこ部屋管理人

 


~にゃんこ部屋管理人の独り言~ VOL41

 立春を過ぎた頃から日が延びてきましたね。1ヵ月前までは18時頃といえば、すでに暗くなっていましたが、最近は明るさが残り、気持ちも晴れやかになってきました。3月を目前に寒波の再来で春の息吹はまだ少し先になりそうですけど、今年も重い外套を脱ぎ捨て、身も心も軽やかになれる季節が確実に近づいて来ていますね。

 

 風が強いある休日に、新西海橋の下を通る遊歩道を散策して来ました。低い気温に加え強風に煽られた橋の下で、体感温度としてはかなりの寒さで中々のものでしたが、普段とは違う非日常的な空間や迫力のある景観に、新鮮で充実した時間を堪能することができました。時おり波の中から発生するうず潮や、車で通過する際には目にする事のない無い地点から一望した海面は自然の力強さを間近に感じ、向こう側へと渡りきった先にある公園の展望台に登ってから眺めた3本の巨大な無線塔には、歴史的に重要だった背景も心の中で思いが巡り、実際のスケールも規格外で圧巻でした。現在は史実の上での無言の語り部として、今もなお同じ場所に鎮座している針尾の無線塔。今度はあの辺りを訪れたいと思います。

寒い日でしたが天候に恵まれ、お日様の下、公園まで続くゆるやかで曲線的な舗装道の脇に立ち並ぶ桜もチラホラでしたが蕾が膨らみ、樹によっては初々しい桃色の芽がほんのりと顔を出しかけている枝もありました。また、佐世保側の駐車場と公園側の遊歩道のそれぞれの入り口付近では、尖がった雰囲気の若い男性たちが、佐世保側の駐車場ではちゃんと器に水を入れ、野良ネコに飲ませてあげたり、片や公園側のベンチでは、腰を掛けた膝の上で別の野良ネコを撫でていたりと、同時刻に互いにゆかりの無い別々のヤンチャなタイプの方々が、とても優しく丁寧に住み着いているネコたちの面倒をみている様子に果てなき称賛の意と好感を覚えました。

今は大江戸温泉物語Premiumが建っている場所でしたか、その昔営業していた西海橋ビューロッジいうアミューズメントパークの水族館や遊園地の遊具など、令和の常識で検査すれば、ほとんどが安全基準に満たなかったんじゃないかな?とおぼしきジェットコースターや観覧車の遊戯施設で遊んだ時の、リアルに危険と隣り合わせだったスリルの数々が懐かしい思い出です。

 

 今月の前半に施設では節分の豆まきがおこなわれ、入居者さま達に楽しんでもらおうと今回もスタッフ総出で趣向を凝らし、季節の催しを執り行わさせて頂きました。多様な業務のかたわらで準備に関しては一心不乱に突き進み、お陰様で賑やかな盛り上がりを呈し、盛況を納めさせて頂きました。      

それぞれが忙殺される日々の中、ファミーユをご利用下さっている皆さまが満悦なお時間をお過ごし頂けるよう、これからも一丸となって励んで行く所存でございます。もし、手前どもが行き届かない所にお気づきの際にはご遠慮なく何なりとお申し付け下さい。そのお言葉の1つひとつが当ファミーユのこれからの財産になって行くと考えております。

 

 

あと数日は寒波が日本列島を覆い各地で影響を及ぼす地域もあるようですが、皆さまにおこれましてはご自愛とご用心をなされませ、健やかにお過ごし下さい。

職員一同、今年も暖かい季節の訪れを皆さまと一緒に迎えられる日を心より楽しみにしております。

 

令和72月某日 にゃんこ部屋管理人