今年度が始まりましたが皆さま心機一転、新たな気持ちで今月の1日を迎える事が出来ましたか?先週降った雨や、数日吹きすんだ強い風などに負けず、佐世保市内および近隣各地の桜も、花びらを散らすことなくこの日を迎えてくれました。
春は僅かな期間を境に出会いと別れの両方を経験しやすい季節ではないでしょうか。
ある職員さんがご家庭の事情により先月の31日に退職され、平穏な毎日というのは、やはりただの普通の日々ではなく、1人ひとりが誰かの為に互いを支え合う上で成立する結果だと再認識しました。6年もの月日の中で私生活での義務と並行し、多忙なご自身の業務に加え、聡明で明晰な判断力と行動力で、様々な多岐にわたる施設での立ち回りに全職員や、すべての入居者様が助けて頂いた事かと思います。今回、冒頭のこの場をお借りして職員一同を代表し、改めて感謝の気持ちを述べさせていただきます。6年間、本当に有難うございました。Mさん、新天地でもご家族揃って仲睦まじく充実し、ご多幸に恵まれた毎日を送られて下さいね。数年後にまた、この場所でご一緒出来ることを心より願っております。
全国的に冷え込んでいると言われている今年の花見シーズンですが天候には恵まれ、所によっては平日の夜でも大盛況で賑わう公園もあります。この2年ほど僕は以前のように仲間と昼から桜の下で酒を呑むというイベントは開催していませんが、散歩やドライブがてらニミッツ・パークや猫山ダムなど数か所の桜を愛でに行ってきました。猫山ダムの桜並木はダムの向こう岸まで続く歩道を枝が覆うように咲き乱れる場所もあり、さながら桜の花の回廊が並木道を春色に彩り、奥の方では小さい滝が流れ、品評会に出せそうなぐらいの見事な鯉たちが水槽で泳いでいたりと、ちょっとした植物園ばりの充実ぶりでした。ただ、その距離が僕にとってはロールプレイングゲームの中で展開される勇者の冒険並みに果てしない旅となりましたけど。
ほんのりとした酔い心地で桜のたもとに身を委ねるのも粋で乙な春の逸楽だと思いますが、素面で花冷えの風に揺れる枝や舞う花びらを目で追うのも昼夜の空の下、それぞれに違う豊かな表情があり、とても情感的な気持ちをそそられます。
他にはアパートのベランダに舞い散る桜の花びらをのんびりと眺めながら、音楽とコーヒーで寛ぐひと時がこの時期のお楽しみです。
春のうららかな午後、鼻腔を満たすコーヒーの香りとスピーカーから洩れるお気に入りの古い楽曲たち。浮世のしがらみも忘れてしまいそうな、ゆるやかで穏やかな昼下がり。春を満喫するために最低限の5感以外は必要のない贅沢な至福の時間。
四季の自然をいつくしむ文化や風習のあるこの日本に生まれ育つ事ができ、心から幸せに思います。
今年度も利用者さま第一で、関係者各位の方々にもご納得頂ける施設を目指し、各職域で惜しみなく努力を重ね、既存の体制を維持しながら新しい取り組みなどにも挑戦し、更なる成長を目指して参りたいと考えております。
この令和7年度も皆さまからのご協力、ご支援ご指導など、切によろしくお願い致します。
令和7年4月某日 にゃんこ部屋管理人
特攻平和会館へは早めに行ったつもりでしたが、すでに観光バスの駐車場の方からは欧米系の外国人や、年配の日本人の方々が歩いて来られていました。昨日より晴れ間も見え、地面も乾いて探索日和な1日でした。
いよいよ待望の特攻平和館内会へ足を踏み入れました。壁に掲げられた隊員たちの最後の写真。溢れんばかりの笑顔や、志願した任務に対し誇りに満ちた面持ちでレンズに視線を向け、覚悟の先を見つめる若者たち。ガラスのケースの中に並べられた隊員たちの遺書や遺品。モノクロの静止画は今にも全部が動き出しそうなくらいの躍動感と情感に満ちた写真ばかりで、書き残された手紙の内容は正常な人間なら誰もが持ち合わせた、散っていく苦悩と生への執着心。そして、置いていく愛する者たちへの自身の未練などはさておき、どれも短すぎる命の灯の際で己の事より、ご家族や親しい人達のこれからの事を案じ敬う、慎み深く慈愛に満ちた物ばかりでした。本当に本当にすべてが〝個〟としての脆弱な人間性の1面を見事なまでに押し殺し、最後まで人格者として筆を走らせた立派な辞世の句ばかりでした。
後ろに立っていた白人の老婦人も嗚咽を漏らし、目頭にハンカチを当てていらっしゃいました。それを見て、あの頃は国同士の衝突を余儀なくされていた関係でも、人として根底に流れる大切な気持ちは同じだという事を再認識しましたね。
また、別のブースで流れていた、語り部の知覧高等女子高3年生の時、女子勤労奉仕隊員だった前田笙子さん(現 永﨑笙子さん)の動画の中で、インタビュアーがあの頃、出撃していく若い隊員たちの事を可哀そうだと思ったか?の質問に、ここも(知覧の地)も戦場だと思っていたし、私もここで果てる覚悟をしていたので。というお答えに、上品な口調から発せられた、少女時代の前田さんの決意の言葉が心の中に重くのしかかりました。
幸運にも映画館並みの視聴覚室で30分程の映像資料を観る時間にも恵まれ、会館を後にしました。表に出ると、昨日とほぼ同じ場所で環境美化のおかあさんがお仕事をされていたので、お疲れ様ですまた来ました~とご挨拶をし、再度少しの間、立ち話をしました。そのおかあさんからは広島の原爆ドームを勧められました。
その後は自分の車に乗り込み特攻平和会館前の参道を走り抜け、近くの簡易郵便局に入り、特攻平和会館でもらったガイドマップに載っている跡地の方向と大まかな行き方を教えて頂きました。
滑走路をはじめ、飛行場だった範囲はほとんどが取り壊され畑などになっていて、その畑の中を突き進む所もあると説明は聞いていたのですが、本当にあぜ道のような地元の方でもこの畑で働いている人しか近寄らないような道も通り、途中で小さな公園で作業をしていた男性に、もう1度場所の詳細をお伺いし、最初の目的地に着きました。
しばらくそこで80年前に流れていた時間を想像し、先ほどの公園の男性にお聞きした他の跡地に向かいました。行ったり来たりとその辺りを回っていたら何となく土地勘が掴めてきたのですが、『なでしこ隊見送りの地』の正確な場所だけが見つかりませんでした。他の跡地は石碑などが建っていたので判りやすかったのですが、『見送りの地』だけは目印になるものが無く、かなり車で近所を探してみましたが、おおよその見当しか付かず、ちょうど付近の畑でお仕事をされていた年配の女性を見つけ車を降り、その女性にお尋ねしました。するとこちらに近寄りながら、手の平を開き両腕を左右に大きく振り「だいたい、この辺りが全部そう」と教えてくださいました。滑走路だった方向を指さした後、道路向いの畑などを指し、あちらから飛んできた飛行機に、皆がだいたいこの辺でお見送りをしていたみたい、とおっしゃられました。2人で空を見上げ、戦争中にこの空ば若者が操縦する戦闘機の飛んで行きよったとですね…とつぶやくと、そう。とお返しになられた、短くも深い意味のこもった一言。農作業中にお手を止めさせた非礼をお詫びし、車に乗り込み知覧を離れました。
今回訪れた跡地で1番印象深かったのは三角兵舎跡でしたね。兵舎自体はもうありませんでしたが、駐車場から、小高い森の中へ続く木の縁で出来た階段を登りきった所で、少し広がった平坦な場所がそのようでした。高く成長した杉の木々が、隊員たちが身を寄せる兵舎を空から隠すような立地になっていました。広場の脇に東屋が2つあり、1つは休憩用のベンチ、もう1つは当時の三角兵舎の見取り図を模した大きなパネルが展示され、見取り図の下には特攻平和会館のブースで語られていた女子勤労奉仕隊員の前田さんが書き留められていた特攻日記が3週間分ほど紹介されていました。かつてこの地にあった三角兵舎は特攻隊員たちが出撃前の数日間を過ごす終の宿泊施設で、今はとてもひっそりとし、これといった物は無い場所でしたが、森林に囲まれ当時の隊員たちの功績を称えるかのような、清らかで優しい雰囲気に包まれていました。
場所によっては石碑の説明書きだけで畑や住宅地になっている所もあり、どの跡地もこの日のその時間は僕だけでしたが、どこも穏やかな聖地といった感じでしたね。
きれい事で飾り付け、特攻を美化するつもりは毛頭ありません。海軍や陸軍の他の英霊たちに対しても同様です。しかし、この方々をはじめ生き残り戦後の日本を再建して下さった、あの頃の皆さまの多大なご尽力で現在の日本があるのは事実ですし、僕たちは間違いなくその恩恵にあやからせて頂いています。崇めまではせずとも誠心誠意の感謝を忘れず、日本人として風化してはいけない史実だと思います。
義勇の名のもとに〝私〟という概念を捨て母国を護る為、かけがえのない人生を捧げ果敢に散華して行かれた方々。
今更ではございますが、皆さま本当にお疲れ様でした。
そして本当にありがとうございました。
次に空を見上げる時は夢と希望に満ちたお気持ちで、大切な人と心ゆくまで青い空をお楽しみください。
せめて今は安らかにゆっくりとおやすみ下さい。
令和7年3月某日 にゃんこ部屋管理人
この前、鹿児島の知覧へ行ってきました。
知覧インターチェンジを降り、左折して知覧特攻平和会館を目指しました。曇り空ではありましたが、前日の夕方までの天気予報で滞在予定の日数は雨模様でしたので、傘を差さずに過ごせそうなだけでも有難かったですね。知覧の町へと進むごとに道路の両脇や畑などには、出迎えるかのように目に飛び込んできた、黄色い菜の花が可愛く蕾を開かせ、慣れない道を走り続け、すり減っていた神経を和ませてくれました。ずっとずっと前からこの地を訪れる人たちを歓迎するかのように咲き並んでいたのでしょう。
知覧特攻平和会館に到着したのは遅い午前中でした。すでに多くの観光客が会館外の思い思いの場所で、当時の隊員たちにまつわる説明が刻まれた石碑や復元された戦闘機や兵舎を、感傷と崇敬や労いなど、いくつもの感情が入り混じった表情で見つめていました。僕も周りの数ヵ所で戦争遺跡を見学し、特攻平和会館隣の野球場で環境美化の作業をされていたおかあさんや、駐車場で待機されていた地元のタクシーの運転手さんに特攻隊基地跡で生活するお気持ちや、その当時の歴史に関するお互いの想いを立ち話したのちに、日本陸軍公式指定で特攻隊員ご用達だった富屋食堂の復元資料館へと足を運びました。
知覧は武家屋敷群が存在したり南九州市役所前の小さな川に水車が回っていたりと、昔の情緒を今に残したセピア色の風景が似合う町並みでした。そんな通りの一角に近所の景色と調和したノスタルジックな佇まいで、先入観もあったのでしょうが、懐かしくもどこか切なくそして温かい雰囲気を感じさせる富屋食堂に到着しました。
建物自体は実物を知らないので復元の忠実さを計る事はできませんが、2階にのぼる階段横の小部屋1つを取っても、昭和初期に建築された日本家屋のニュアンスをかなり精密に再現されているのではないでしょうか。
柔らかい明かりに照らされた室内で展示品の数々を拝見させて頂きました。女将の鳥濱トメさんは、祖国のために片道覚悟で出撃する隊員たちのために、私財を投げながら最後に所望する食事を振る舞い、時には彼らの手紙を預かり、それぞれの家族の元へ届けたりと、普通の女将と客たちとの関係を超え、魂で繋がっていた間柄だったようです。
明日もしくは数日後に自らの命を賭して作戦に赴く若い青年および少年たちの最後のリクエストが、女将である鳥濱トメさんの手料理を食べる事や、自分たちの想いをしたためた手紙を託すことだけだったという、その選択肢の限られ過ぎた状況に、恵まれた時代に育ち、気が済むまで自由を謳歌してきた僕はきつく胸が締め付けられました。
時代の激しい運命の濁流に翻弄されながらも、屈託のない、はつらつとした顔つきでカメラの前に立っていたあの時代の方々は本当に凄いですね。
近所を歩いたり車で回り、この道も隊員の方々が通ったのかもとの思いを噛みしめ、夕方宿泊先のホテルへ向かいました。途中でスーパーに立ち寄り、お惣菜とチーズとウイスキーを買い込み、ホテルの部屋で初めての町の夜を過ごしました。
翌朝は出張の会社員らしき人たちに混ざりホテルのバイキングで朝食を取り、再び知覧の町へ…。 ※VOL42 (2) へ続く
令和7年3月某日 にゃんこ部屋管理人
立春を過ぎた頃から日が延びてきましたね。1ヵ月前までは18時頃といえば、すでに暗くなっていましたが、最近は明るさが残り、気持ちも晴れやかになってきました。3月を目前に寒波の再来で春の息吹はまだ少し先になりそうですけど、今年も重い外套を脱ぎ捨て、身も心も軽やかになれる季節が確実に近づいて来ていますね。
風が強いある休日に、新西海橋の下を通る遊歩道を散策して来ました。低い気温に加え強風に煽られた橋の下で、体感温度としてはかなりの寒さで中々のものでしたが、普段とは違う非日常的な空間や迫力のある景観に、新鮮で充実した時間を堪能することができました。時おり波の中から発生するうず潮や、車で通過する際には目にする事のない無い地点から一望した海面は自然の力強さを間近に感じ、向こう側へと渡りきった先にある公園の展望台に登ってから眺めた3本の巨大な無線塔には、歴史的に重要だった背景も心の中で思いが巡り、実際のスケールも規格外で圧巻でした。現在は史実の上での無言の語り部として、今もなお同じ場所に鎮座している針尾の無線塔。今度はあの辺りを訪れたいと思います。
寒い日でしたが天候に恵まれ、お日様の下、公園まで続くゆるやかで曲線的な舗装道の脇に立ち並ぶ桜もチラホラでしたが蕾が膨らみ、樹によっては初々しい桃色の芽がほんのりと顔を出しかけている枝もありました。また、佐世保側の駐車場と公園側の遊歩道のそれぞれの入り口付近では、尖がった雰囲気の若い男性たちが、佐世保側の駐車場ではちゃんと器に水を入れ、野良ネコに飲ませてあげたり、片や公園側のベンチでは、腰を掛けた膝の上で別の野良ネコを撫でていたりと、同時刻に互いにゆかりの無い別々のヤンチャなタイプの方々が、とても優しく丁寧に住み着いているネコたちの面倒をみている様子に果てなき称賛の意と好感を覚えました。
今は大江戸温泉物語Premiumが建っている場所でしたか、その昔営業していた西海橋ビューロッジいうアミューズメントパークの水族館や遊園地の遊具など、令和の常識で検査すれば、ほとんどが安全基準に満たなかったんじゃないかな?とおぼしきジェットコースターや観覧車の遊戯施設で遊んだ時の、リアルに危険と隣り合わせだったスリルの数々が懐かしい思い出です。
今月の前半に施設では節分の豆まきがおこなわれ、入居者さま達に楽しんでもらおうと今回もスタッフ総出で趣向を凝らし、季節の催しを執り行わさせて頂きました。多様な業務のかたわらで準備に関しては一心不乱に突き進み、お陰様で賑やかな盛り上がりを呈し、盛況を納めさせて頂きました。
それぞれが忙殺される日々の中、ファミーユをご利用下さっている皆さまが満悦なお時間をお過ごし頂けるよう、これからも一丸となって励んで行く所存でございます。もし、手前どもが行き届かない所にお気づきの際にはご遠慮なく何なりとお申し付け下さい。そのお言葉の1つひとつが当ファミーユのこれからの財産になって行くと考えております。
あと数日は寒波が日本列島を覆い各地で影響を及ぼす地域もあるようですが、皆さまにおこれましてはご自愛とご用心をなされませ、健やかにお過ごし下さい。
職員一同、今年も暖かい季節の訪れを皆さまと一緒に迎えられる日を心より楽しみにしております。
令和7年2月某日 にゃんこ部屋管理人